みやビズ

2018年6月22日(金)
キーパーソン

柳園製材代表 柳園辰彦さん

2013/09/19

技術力生かし木材加工品で販路

 すのこや縁台などの加工品まで製造している製材所というのはあまり聞かない。戦前創業の会社も珍しくない古い製材業界に約35年前、父親とともに飛び込んだ。ゼロからの挑戦の中で業界で生き残るすべとして考えたのが木材加工品の製造だった。以来、開発力や技術力を注ぎ込んだ商品を誕生させてきた。

製造したすのこについて工場長と話す柳園代表

製造したすのこについて工場長と話す柳園代表

 歯科技工士だった父親の故治夫さんとともに製材所を立ち上げたのが1979(昭和54)年。祖父が山師だったこともあり、山の事業に携わることに違和感はなく、かつて製材所が集積していたJR都城駅前で生まれ育ったこともあって業界に知人も多かった。

 当時28歳。学生時代は「芸術方面に進みたい」という夢もあったが、高校卒業後、東京でアルバイト生活を送り、家具メーカーや造園業などにも勤務。職業訓練校で目立てを学び、父親とともにゼロから製材業をスタートさせた。当初は建材を扱ったものの、資本力のある大手製材会社には「太刀打ちできなかった」。

 扱う素材は北諸、西諸地区のヒノキや杉。「よそと同じ事をやっても駄目だ」とまもなく魚箱など木材加工品を手掛けるようになった。次にかまぼこ板が軌道に乗り始めたが、正月などの冬場に注文が偏っていた。この時、夏場の仕事として問屋から紹介されたのがすのこだった。建材にならないような間伐材のヒノキを買い付け、製造したすのこは地元や県外のホームセンターで販売され、多い時は月間で1万2000枚ほど製造。「これで6、7年はもうかった」。

「新たな木材加工品を製造し、販路を開拓したい」と語る柳園代表

「新たな木材加工品を製造し、販路を開拓したい」と語る柳園代表

 だが15年程前から中国から安価な材料が流れ込み、「受注は3割以上落ちた」。そんな逆境を打開するために、力を注いできたのは新商品の開発だ。2005年に地元の鶏卵会社と共同でヒノキの間伐材を使った組み立て式屋台を開発。柱や屋根などに分解でき、組み立ても簡単で実演販売などに向いた商品だ。翌年にはヒノキ製ベッドを開発し全国商工会連合会の賞を受賞するなど、技術力が評価された。

 実用品としてもホームセンターと共同開発してヒットした野菜を収納する箱、高所の物を取ったりする際に使う踏み台、縁台、本棚など手掛けるアイテム数は60種類にものぼる。その発想力は衰えず、作業場の事務所にはユニークな試作品が置かれている。

 現在はホームセンター以外にもインターネットで販売するなど、販売チャンネルの開拓にも力を注ぐ。ヒノキ製のアタッシェケースなど職人技を注入した商品などは価格が3万~5万円など高級路線のため、「違うチャンネルを開拓していかないと売れない」と模索し続ける。

 製材業界に入り約40年。海外との競争にさらされ決して楽観的な状況ではないが、中国材が日本以外の市場にも流れ始めるなど、明るい兆しが見えている。「山に食べさせてもらっているから、山が荒れないよう、山のもとで物を作り、雇用を生めるように頑張りたい」。試行錯誤しながら山から生まれた木々を使った商品を世に送り出している。

ここが聞きたい

 -製材業界の現状は。

 厳しい状況が続いている。ただ、われわれが製造しているすのこも以前は中国産に押されていたが、最近は中国から入りにくくなっていて、全国のメーカーなどから問い合わせがある。今を持ちこたえれば流れが変わってくるかもしれない。

 -今後、力を入れたいことは。

 アタッシェケースに用いた指し物技術を活用して商品を作ってみたい。そのためには売る側の人とつながる必要がある。こちらは作り手のプロだが、売る側の人に商品の企画段階から関わってもらえれば、ニーズに合った商品もでき販売チャンネルも広がる。そういう相手を探している。

わたしのオススメ

 小学生のころ、絵を習っていたこともあって、アートが好きだった。物づくりも小さい頃から好きで、それが今の仕事にも少し関係しているかもしれない。小学校のころに一緒に絵を習っていた都城出身でスペイン在住の美術家又木啓子さんは3年程会っていないが、彼女の作品もいい。(談)

プロフィル

 やなぎその・たつひこ 都城泉ケ丘高卒。高校時代は野球部にも所属。卒業後の数年間は東京で新聞回収などのアルバイト生活を送った。「若いうちに遊んでいて良かった」。31歳で結婚し、2男1女。好きな言葉は「一生懸命」。三股町樺山在住。1952(昭和27)年10月生まれの60歳。

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