みやビズ

2020年2月25日(火)
キーパーソン

アメックス社長 上山泰寛さん

2013/06/17

事業継承し業務拡大


 「引き継ぐ覚悟がどれほどあるのか。父親と衝突したときにはじけるのか、2、3歩下がって教えを請うのか」。後継者が抱える悩みを率直に話す。父健治郎さんが経営していた旧日向水道工業(現アメックス)に就職したのは25年前の1988(昭和63)年。「社長の息子」という難しい立場を乗り越え、2000年に社長に就任。公共工事依存型からリスクを分散する経営に切り替え、民間工事参入にも力を入れるなど、業績を着実に伸ばしている。

民間工事への参入を強めるなど、上山社長は時代の流れに合わせた業務拡大へかじを取る

民間工事への参入を強めるなど、上山社長は時代の流れに合わせた業務拡大へかじを取る

 大学卒業後、1983年に須賀工業(本社・東京)に入社。配属先の大阪や東京では民間ビルの管工事や設備工事の現場を任された。「10階、20階建てはざらで、修業の身分ながらも二十数億円の工事を任されたこともあった」という。同社で5年間経験を積み、仕事の妙味が分かり始めたころに後継者となるべく、旧日向水道工業に帰った。

 そこで待っていたのは、色眼鏡で見られる「社長の息子」という立場だった。社員との距離は縮まらず、「古参の社員との間でトラブルもあった。辞めていく社員もいたし、辞めてもらうこともあった」と振り返る。また、大都市でスピード勝負の仕事をこなしてきただけに、「のんびりした『宮崎ペース』にイライラすることもあった」。仕事の姿勢を注意すると、「生意気なやつが。なに言うか」という目で見られた。「認め合うまでには時間が掛かりました」と今は笑う。

 健治郎さんとの間では、「考え方が違うと思うことがあっても、2、3歩下がって教えを請う関係を保った」という。「衝突してはじけてしまえば、それでおしまい」が持論。悩む後継者には、こう説明するという。

事業継承の難しさや後継者の心構えについて語る上山社長

事業継承の難しさや後継者の心構えについて語る上山社長

 社長に就任したのは、2000年8月。バブル経済は完全に終息し、官民ともに発注が右肩下がりになるころだった。「公共工事の発注減が予想され、たたき合いや安値競争では採算が厳しい」と判断。民間工事への移行を目指し、県内外大手の建設会社への営業を積極的に仕掛けた。「東京から戻った当時はバブル経済期で仕事が多かった。いろんな仕事があって、いろんな人に出会うことができた。そのころに培った人間関係が営業で生きた」と語る。

 土木、建設、管工事などの受注グループを地元業者でつくることによって、病院や工場といった特殊建物を中心に受注を増やしたという。「信頼関係を築くには10年かかる。時代背景と人間関係に恵まれていた」。いまや全国展開の大型スーパーの管工事も一手に請け負うほどだ。

 また、東日本大震災で、ライフラインの重要性があらためて見直されたことも追い風に感じている。「水の大切さが再認識されたことで、設備施設業者の立場が変わってきた。発注コストの減額や安値競争やたたき合いといった厳しい状況もあるが、そればかりではない仕事もある」と言う。

 事業継承から13年。公職でも全国3万の中小企業組合が加盟する全国中小企業団体中央会の下部組織青年中央会の会長に昨年就任。九州からの選出は初めて。「全国の特色ある活動内容を情報交換し、お互いを刺激し合う素晴らしい交流ができる」と意義を語る。同時に、「青年部は2世が多く、経営感覚の違いや継承は共通の悩み。激しい社会変化に対応できる人材育成や指導者が必要。日本の経済を支える中小企業を元気にしていくのが青年部の使命」と意気込む。


ここが聞きたい

 -事業継承に必要な心掛けは
 経済状況をはじめ、周りを取り巻く環境も、取り扱う仕事も変わってくる。2、3代目の後継者は起業の苦労を知らない。その代わり、跡を継ぐには先代の仕事やプレッシャーを乗り越える覚悟がどれだけあるかが大切。


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 サーフィン歴34年。サーフトリップでバリやハワイ、プーケットを旅した。サケと自然を愛するレジェンドサーファー。ホットヨガにも通っていて、体を動かしてリフレッシュしています。登山も始める予定。(談)


プロフィル

 かみやま・やすひろ 日向学院高から日本大学生産工学部へ。須賀工業大阪支店設計部、同支店工事部を経て、1988(昭和63年)にアメックス入社。2000年に社長就任。県中小企業団体中央会、宮崎管工事組合の理事も務める。宮崎市出身、昭和35年生まれの52歳。

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