みやビズ

2020年2月24日(月)
キーパーソン

県産業支援財団コーディネーター 佐々木隆行さん

2013/02/21

農業のイノベーション実現にまい進

 中小企業の相談に乗り、経営者と二人三脚で課題解決に臨む県産業支援財団のコーディネーター。さまざまな分野の海千山千がそろうコーディネーターの中にあり、請け負う企業数はもっとも多く、多方面から信頼を得てきた。戦前の生まれで、78歳を迎えた。社会や地域の役に立ちたい-。その強い思いが、年齢を感じさせないバイタリティーの源泉となっている。

産業支援財団のコーディネーターとして数多くの企業の支援を手掛ける佐々木さん。「百パーセントのサービスができなくなった時が引退の時」と語る

産業支援財団のコーディネーターとして数多くの企業の支援を手掛ける佐々木さん。「百パーセントのサービスができなくなった時が引退の時」と語る

 1935(昭和10)年、台湾で生まれた。小学校の教師をしていた両親が、日本統治時代の台湾に移り住んだためだ。

 台湾で過ごしたのは小学5年生まで。第2次世界大戦が始まり、終戦も台湾で迎え、今でも脳裏に浮かぶのは「果物のおいしさ」だ。食うに困っていた日本国内とは違い、「食べ物は豊富にあった」といい、同じ時代を台湾で過ごした仲間とは、「必ず果物の話題で盛り上がる」。楽しい思い出が多かった台湾での生活だが、終戦を迎え、現地の人の態度が一変。「それまで威張っていた日本人」への暴行が横行する現状を目の当たりにし、「子どもながらに、戦争の恐ろしさや、民族間の問題の複雑さを見て取った」と振り返る。

 戦後、両親の故郷である宮崎市に移り住み、中学、高校時代を送った。「将来の展望は何もなかったが、とにかく都会に出たかった」。ラジオから流れる美空ひばりの「東京キッド」の歌詞が、都会への憧れをかき立てた。だが、高校卒業後は、大都会・東京ではなく、九州大学経済学部に進学した。急速に戦後復興が進み、高度経済成長で日本経済が発展していく中、「法律よりも、経済を学びたい」と感じたのが動機となり、それが「今につながる転機だったかもしれない」と振り返る。

 大学を卒業し、当時、ようやく出回り始めたオフィスコンピューターを販売する企業に就職。全国に販売網を持つ大企業で、東京や札幌、名古屋、大阪と大都市への転勤を繰り返し、企業を相手にコンピューターを売り歩いた。営業という職業柄、さまざまな企業経営者と出会い、大企業の社員とも交流。激しくうごめいていた経済を肌で感じ続けた。中でも、教訓めいた思い出として心に刻むのが、「アサヒビール」の一件だ。

 同社が販売不振に陥り、ビール業界の勢力図が変わろうとしていた時期。同社のシステム構築に携わっていた経緯から同社社員とも交流を持ち、ともに酒販店を回って販売不振の要因を探ったこともある。「その頃のビールは味は大差なく、要するに売り方が違っていただけ。どう売ればいいのかを一緒に考えた」が、アサヒビールが取った手段は「新商品の投入」。他社との味の違いを明確化した商品を一気に数種類投入し、その中からヒット商品を生み出した。「売り方」に頼っていたビール業界にあり、「商品の差別化」によって復活を果たした手法を目の当たりにし、「新しい発想を持ち、常にイノベーションを仕掛けていく重要性を知った」。

 約30年勤め、理事にまで上り詰めたが、長男として家を継ぐため、定年を前に退社。「宮崎で食べていくためには資格が必要になるだろう」と、中小企業診断士になり、95年に宮崎市で経営コンサルタント業をスタートさせた。

「社会に役立ちたい」と語る佐々木さん

「社会に役立ちたい」と語る佐々木さん

 知人からの紹介で、2003年から同財団のコーディネーターを務め、これまでに400社の中小企業の支援を手掛けてきた。現在、特に力を入れるのが農業分野。「アサヒビールの復活劇」から得た教訓を胸に、農業分野におけるイノベーションの実現にまい進する。

 専門分野は、経営計画やマーケティング、財務管理、経営革新計画、農商工連携、地域資源活用と幅広い。「公」という立ち位置から中小企業の課題解決に奔走する理由は「営業マン時代には会社の利益ばかりを考え、正しいことばかりをしてきた訳ではない。その罪滅ぼしに、少しでも社会に役立ちたいという気持ちがある」と語る。

 「傘寿」間近の年齢に達した今も、月に30件以上の相談を受ける多忙の日々。「仕事はいつまで続けるのか」-。そのぶしつけな問いに、「辞めるときは、百パーセントのサービスができなくなったと感じたとき」と頼もしく、力強い答えが返ってきた。

ここが聞きたい

 -中小企業を取り巻く経済状況をどう見るか。

 中小企業は、その多くが販路を拡大できる可能性を秘めている。中小企業の売り上げ拡大は億や十億円単位ではなく、多くて1000~数千万円。利益も100万円単位になり、そのマーケットは宮崎だけでも十分にある。

 -市場を捉え、販路拡大を成功させるには何が必要か。

 常に言っていることだが、その市場のナンバーワンになること。商品でも技術でも、その市場が小さくても、地域でトップになることが重要。簡単ではないが、例えば、商品開発する際、単に作るのではなく、どういう生活シーンで誰に使ってもらうかを絞っていくことが求められる。そこが固まれば、ネーミングやパッケージも付けやすい。

わたしのオススメ

 趣味は演歌。飲み会のカラオケで歌うのが好きで、20年前から教室で習うようになった。演歌は人生の悲しみやあきらめなどが表現され、癒やしにもなる。立派な文化と思っている。週に1回は教室に通って、仲間と楽しんでいる。一番はやはり、石原裕次郎で「夜霧よ今夜もありがとう」。(談)

プロフィル

 ささき・たかゆき 1935(昭和10)年生まれの78歳。宮崎大宮高校、九州大学経済学部を経て、57(昭和32)年にNECオフィスコンピューター販売会社に入社。91年に退社し、93年に中小企業診断士登録。宮崎市内で経営コンサルタント業務を手掛け、2003年から県産業支援財団コーディネーター。中小企業支援ネットワーク巡回アドバイザー(経産省)、農業6次産業化プランナー(農水省)。

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