みやビズ

2018年12月12日(水)
キーパーソン

新海屋(延岡市北浦町)社長 小川裕介さん

2018/03/19
 経営のことなどまったく知らないまま起業し、倒産の危機を味わった。多額の債務超過に陥り、「死んでしまいたい」と思うほどのどん底の時期もあった。そのたびに困難を乗り越え、経営規模を徐々に拡大させてきたハングリー精神の持ち主だ。

県産魚を北米市場へ


起業から多くの困難を乗り越えて会社を成長させてきた小川社長

起業から多くの困難を乗り越えて会社を成長させてきた小川社長

 経営のことなどまったく知らないまま起業し、倒産の危機を味わった。多額の債務超過に陥り、「死んでしまいたい」と思うほどのどん底の時期もあった。そのたびに困難を乗り越え、経営規模を徐々に拡大させてきたハングリー精神の持ち主だ。そしていまや養殖ブリのフィーレの北米輸出を目指すほどの会社へと成長させている。

 県内有数の漁業のまち延岡市北浦町出身。高校卒業後、親族が経営する地元の水産物卸売会社に就職した。現場の営業を任される中で、経営者との間の溝が次第に深まり、33歳のとき勢いに任せて退社した。

 すぐにトラック1台と包丁4本を買い、新海屋の前身となる養殖魚を販売する新海社を2011年3月に創業した。起業したのは「前の勤め先で新規取引を始めてくれた居酒屋チェーンに対し、きちんと魚を届けなければいけない」という責任感があったからだった。
 
 この時期が一番つらかった。設備も人も資金もなかった。そして信用もなかったため、魚の仕入れにも苦労した。だが、地元の養殖会社が「お前の会社は絶対に伸びる。いまつぶれてもらったら困る」と、出荷に必要ないけすや船を無償で貸してくれた。1人で500~700匹のブリやカンパチをいけすから水揚げして、締めて、リフトを操作して出荷する日もあった。

 だが、いつまでも甘えるわけにはいかなかった。運搬船は近くの漁港などを見て回り、廃業するという隣町の大分県佐伯市の水産会社から格安で調達した。他の道具も、廃棄されそうな物を再利用してしのいだ。そのうち自社で仕入れができる体制が整い始め、初年度の終わりには社員も3人に増えた。

 そして13年4月、これまで外注していたフィーレ加工を内製化するため、延岡市内に自社加工場を完成させた。総工費は1億2000万円。しかし大きな失敗を犯した。加工場が予想以上に小さかったのだ。「全体が見えてなかった。こんな小さな工場に大金をはたいてしまった」と後悔し、工場に入るのも嫌になった。

 現実逃避しているうちに売上高の約半分に当たる3億5000万円分の取引を失った。バイヤーが代わったことで、簡単に契約を切られたのだった。受注が減り、稼働率が低くなった上に、技術力もなく、毎月のように赤字が続いた。「やめることを考え続けていたけど、恥ずかしくてやめられなかった」

4月に完成する新加工場「北浦ベース」。来年1月から北米輸出をスタートさせる。

4月に完成する新加工場「北浦ベース」。来年1月から北米輸出をスタートさせる。

 そこにさらなる不運が。高知県から仕入れていたハマチが赤潮で死滅した。わずか1週間で1700万円の損失を出し、工場建設初年度の赤字は2000万円となった。金融機関の債務者区分は「破綻懸念先」へと転落した。

 「死んでしまいたい」と本気で思った。すがる思いで東京都内で開かれた水産加工会社向けの経営セミナーに出席した。「セミナーから帰ったら死ぬつもりだった」。そんな心中を察しられてか、セミナー後の個別相談で講師から受けたアドバイスは、「病院に行ったほうがいいですよ」だった。

 しかし、すぐに転機が訪れた。翌日、面談の予約を入れていた飲食会社2社を訪問した。「見積書だけ出しといて」と言われ、軽くあしらわれたと思っていたが、延岡に帰ると、「具体的な話がしたい」と連絡が入り、後に2社とも大きな取引につながった。さまざまな助けもあり、複数の金融機関が協調融資を決め、赤字脱却へ向けて5カ年計画も策定。フィーレ加工も歩留まりが上がるよう従業員の技術も向上させた。すると1年後の14年2月期には売上高6億9000万円で経常利益700万円を計上し、単年度黒字を達成した。

 その翌年には京セラ創業者で名誉会長・稲盛和夫氏が塾長を務める「盛和塾」に入塾した。「朝から晩まで働くだけだった」という経営を見直すためだ。数値目標の設定にも取り組んだことで、売上高や売上高経常利益率は上昇し、17年2月期は同率4.7%となった。目標の10%はまだまだ遠いが、十分な手応えを感じている。

 今年4月には故郷の延岡市北浦町に食品衛生管理の国際基準「HACCP(ハサップ)」に対応した新加工場「北浦ベース」を開設する。ブリの消費が顕著な伸びを見せる北米への輸出も年内に始める計画で、20年2月期の売上高は20億円を目指す。「期待と怖さが半々。地元に育ててもらった恩返しはしたい」。新たなステージはもうすぐ始まる。
(巣山貴行)

プロフィル

 おがわ・ゆうすけ 1978(昭和53)年11月生まれの39歳。延岡学園高卒、地元の養殖・加工会社に勤務後、33歳で独立し新海屋(旧新海社)を設立。延岡市内に妻と4人の子どもと暮らす。

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