みやビズ

2018年5月24日(木)
キーパーソン

矢野興業(宮崎市)社長 矢野智久さん

2018/01/29
 秘書として務めていた国会議員事務所の解散や自社の業績不振を乗り越えて2017年6月、創業者である会長の父文昭氏の後継として社長に就任した。現場作業の多い建設業にあって、人手不足や働き方改革など、経営者として取り組むべき課題は山積する。

改革目指す2代目


社員の意見を広く集めることや働きやすい職場環境づくりなどに努める矢野智久社長

社員の意見を広く集めることや働きやすい職場環境づくりなどに努める矢野智久社長

 秘書として務めていた国会議員事務所の解散や自社の業績不振を乗り越えて2017年6月、創業者である会長の父文昭氏の後継として社長に就任した。現場作業の多い建設業にあって、人手不足や働き方改革など、経営者として取り組むべき課題は山積する。逆風の吹く経営環境の中、社業をどのように拡大させていくか、若い手腕が注目されている。

 九州国際大(北九州市)を卒業後、香川県にある「少林寺拳法」の指導者を育成する専門学校に進学。「いずれは指導者になりたい」という夢を抱き、卒業後は米国留学も計画していた。しかし、渡航する2、3日前に自社が指名停止となる事件が発覚。経営が窮地に陥ったことで留学を断念。「ただただ慌ただしく、感情に浸ることもなく、会社がつぶれることへの危機感しかなかった」

 自身の将来が描けない中、「将来の人脈づくりのため」と、親交のあった熊本県選出の元衆院議員の私設秘書に就いた。いわゆる“かばん持ち”として東京の事務所に詰め、元議員が寝泊まりする宿舎の掃除や車での送迎を担当した。同僚の秘書たちは元議員に認めてもらおうと昼夜問わず働く人たちの集まりで、「緊張感のある毎日だった」。

人材派遣会社を設立するなど収益の強化を図る矢野智久社長

人材派遣会社を設立するなど収益の強化を図る矢野智久社長

 事務所の解散により、秘書の職も解かれ、帰郷するとそのまま矢野興業へ就職。「後継者となるつもりはなかった」と言うが、顔つなぎという名目で文昭氏に連れられて取引先などを訪問して回った。事実上の後継指名だったが、「あれこれ指示はなく、自由にさせてもらった」と振り返る。

 だが、当時は入札制度改革が始まったばかり。県内の土木建設業者は経営が悪化し、自社も売上高が急激に落ち込んだ。また、文昭氏とは世代や価値観の違いから、意見が対立することもあった。

 しかし、こうした摩擦の中で徐々に後継者としての意識が芽生え始めた。人材確保が多難となる時代を意識し、13年に人材派遣会社「MUSASHI」を設立。「1人だと時間や能力にも限界がある。いろいろな人を集めることで組織の能力が高まる」との思いから、社内会議での意見集約などにも努める。また、「会社に合わせて働くのではなく、働く人の要望に会社側が合わせられるかどうかが大切」という信念から、本社内に託児スペースを設置するなど、家族持ちの社員や女性が働きやすい職場づくりに力を入れる。

 事業面では継続性を高めるため、民間企業との取引の比重を高めながら、作業の効率化やIT技術の導入などを図る。また、人材派遣会社のほか、グループ会社の焼酎用のイモを栽培する農業法人も堅調だ。

 「経営者主導で改革を進めることで少しでも働きやすい環境に変えたい。創業者の父は強烈なリーダーシップを持っているが、これからは人を集め、力を集結する企業にしたい」と力を込めた。

プロフィル

 やの・ともひさ 五ケ瀬町出身。三ヶ所中から宮崎日大高へ進学、九州国際大卒。5歳から文昭氏の指導で始めた少林寺拳法は指導者のレベル。同大学在学中は、少林寺拳法部の主将も務めた。「いずれは子どもたちに教えたい」。宮崎市在住。

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