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2018年10月23日(火)
キーパーソン

バッグのあつた(宮崎市)社長 熱田陽子さん

2017/11/20
20171117-admin_image_1510906756.jpg 創業から約90年のバッグ販売老舗の社長に就いて3年目。「両親の代ではやらなかったことを私なりにやりたい」とランドセルのショールームの開設やインターネット販売など時代に合わせた経営展開と、新たな客層の獲得に心血を注いでいる。

いつまでも地元に愛される店に


社長就任後、福岡と宮崎でランドセルのショールーム事業をスタートさせた熱田陽子社長。「世代を超えて足を運んでもらえる店づくりがしたい」と意気込む

社長就任後、福岡と宮崎でランドセルのショールーム事業をスタートさせた熱田陽子社長。「世代を超えて足を運んでもらえる店づくりがしたい」と意気込む

 創業から約90年のバッグ販売老舗の社長に就いて3年目。「両親の代ではやらなかったことを私なりにやりたい」とランドセルのショールームの開設やインターネット販売など時代に合わせた経営展開と、新たな客層の獲得に心血を注いでいる。

 5人姉妹の末っ子として誕生。幼少から忙しく働く両親を店の片隅から見て、「いつかは会社を継ぐのかな」という漠然とした思いを持ち続けてきた。常連客や従業員は自分の娘や孫のようにかわいがってくれ「周囲の大人が親代わりだった」。大学卒業後は、東京のアパレル会社での就職が決まっていた。しかし、「今のうちに家業について勉強しておきたい」と、入社直前に内定を辞退。父のもとで働くことにした。

 入社2年目で、宮崎市橘通西3丁目にあった本店の店長に就任。スタッフは全員年上だったが「社長の娘だから」だと遠慮して叱ってくれる人もいない状況にあぐらをかいていた。「高飛車な態度を取ったことで、衝突したこともあった」と自省を込める。その状況に甘えていたとはいえ、葛藤もあり、20代の時は「とにかく両親に認められたくてがむしゃらに働いた」

「思い出に残る品を心を込めて販売し、地域に愛される店づくりをしたい」と話す熱田陽子社長

「思い出に残る品を心を込めて販売し、地域に愛される店づくりをしたい」と話す熱田陽子社長

 28歳で全国勤務の会社員と結婚。夫の勤務地に帯同しながらも、会社に籍を置き同社が手がける相手先ブランドでの製造(OEM)を担当した。物流倉庫のある県外に住んでいたころは、子どもを寝かせた夜中に、完成品の検品に出向くこともあった。「夫や協力会社の助けがあり、大変だと感じたことはなかった」

 34歳で、夫を赴任地に残して娘と帰郷。すぐに売り上げ不振の店舗の立て直しを任され、スタッフの教育を強化し、業績をV字回復させた。営業部長として実質的に経営を取り仕切っていた長姉の輝子さん(現アツタウェディングス社長)が「もうあなたに任せても大丈夫」と後任に使命された。

 05年5月にイオンモール宮崎が開業し、買い物客の流れも変化した。常連客も高齢化しており、「両親世代の継承ではなく、時代に合うよう変わらないと生き残れない」と考え、インターネット通販事業をスタート。店舗の統廃合にも着手し、06年から2年間で2店舗を閉鎖。人材育成に力を入れて1店舗当たりの売り上げを伸ばすことで全体の売上高を維持した。

 15年に社長に就任。同年5月には県外初の店舗として、福岡市中央区の中心部にランドセルや子ども向け雑貨を扱う「atsuta kids garden」をオープン。国内有数ブランドの九州唯一のショールームも併設させた。今春は宮崎市吉村町の本店にもキッズガーデンを併設。世代を超えて足を運んでもらえる店づくりを目指す。「ランドセルは子どもが6年間使うものだから、責任を持って薦められるものだけを並べたい」と母心をにじませる。

 商品を置いていれば売れるという時代はとうに過ぎた。「『思い出に残る商品を心を込めて販売する』という、商売の基本を忠実に守りたい。それが地域に愛される店として生き残る方法」。地道な努力を重ね、老舗を守り続ける覚悟だ。
              
(西村公美)

プロフィル

 あつた・ようこ 宮崎市出身。宮崎西高-大妻女子大。趣味は旅行で、長女(14)と次女(10)の子育てが一段落したので再開。今年は米国やマレーシアを訪れた。「旅行は素の自分に戻るもの」。1972(昭和47)年9月生まれ、45歳。

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