みやビズ

2018年7月17日(火)
キーパーソン

日本エアロサービス社長 田中基裕さん

2017/11/06
 航空機部品の専門商社の社長に就任して5年目。エンジンや計器類など中古部品のリースや売買を手掛ける会社と、機体を運用する航空会社の間を取り持つことが主な仕事だ。

豊富な海外経験生かす


航空機の部品を扱う商社の社長となって5年目となる田中さん

航空機の部品を扱う商社の社長となって5年目となる田中さん

 航空機部品の専門商社の社長に就任して5年目。エンジンや計器類など中古部品のリースや売買を手掛ける会社と、機体を運用する航空会社の間を取り持つことが主な仕事だ。高校中退を経てアメリカへ留学し、3度の転職をするなど、流転の半生を過ごしたが、その間に培った豊富な人脈や実務経験が会社経営の土台になっている。

 宮崎市佐土原町の広瀬中を卒業後、宮崎北高に進学。勉強だけでなくバレーボールやバンド活動に取り組む快活な高校生だった。しかし、自宅では祖父に「(実家の)クリーニング屋の3代目になれ」と言われ続けた。

 自身の将来に釈然としない状態のまま、高校1年のころ、ついに家出をしてしまう。夜を明かしたのは自宅近くの石崎浜の海岸。「敷かれたレールの上を歩きたくない。海の向こうにあるアメリカに行きたい」。海を眺めながら考えた。そして、自宅に戻ったら父に殴られた。思いをぶつけると、「3代目に決めていたわけじゃない。自由にしろ」と言われた。そこで米国留学の了承をもらい、高校を中退した。

 留学先はカリフォルニア州の公立高オークモント・ハイスクール。当時は留学する高校生が少なく、校内で日本人は一人だけだった。言葉がうまく通じなかったせいもあり、最初に待っていたのは同級生からのいじめだった。授業中に鉛筆で背中を何度も刺され、我慢できずに殴りかかったこともあった。

 周囲と打ち解け始めたのは、9カ月ほどたってからだった。英語が分かるようになったことや、同級生の自宅でホームステイを始めたことが大きかった。気が付くと、仲間に誘われてバレーボール部の創設に奔走するなど、徐々に学校生活を楽しめるようになっていた。

田中さんの財産は「人脈」。世界各国に業界の知り合いがおり、互いに助け合っているという

田中さんの財産は「人脈」。世界各国に業界の知り合いがおり、互いに助け合っているという

 卒業後は親の勧めもあって帰国した。帰国子女扱いで武蔵大(東京都)に進学。同大学を出た後は、埼玉県内のパソコン部品メーカーに就職した。語学力を生かしてスイス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェーなどヨーロッパ各国を飛び回り、自社製品を売り歩いた。

 そこで覚えた貿易の実務経験を生かして、航空機の部品を専門に扱う都内の外資系商社や、航空機の中古エンジンの部品を扱う米国の商社にも勤務した。現在の会社には、外資系商社時代の上司に誘われて2010年に入社したが、その上司の死去に伴い、12年から後を継いで社長を務めている。

 01年9月の米中枢同時テロで、航空機への需要は冷え込んだ。世界に約300社はあった中古部品のリース、販売会社は15社程度に激減。最近ようやく持ち直してきたが、近年は航空会社の新型ジェット旅客機に対する需要が増加する。この影響で、取り扱いの主力だったジェット旅客機の中古部品の需要は減少。近年はプロペラ機の中古部品も扱い始めている。

 さまざまな経験を重ねた今、財産は人脈。「最も楽しい時間は、2年おきにシンガポールで開かれる航空ショー。世界各国から業界の知り合いが集まり、同窓会のような雰囲気になる。彼らとは連絡を取り合い、何かあれば助け合う間柄。私の宝物です」

 宮崎空港を離着陸する中華航空、アシアナ航空、本県のソラシドエアとの取引もあり、「古里・宮崎との縁を感じる」。将来は「宮崎市と宮城県仙台市に支店を置き、ソラシドエア、航空大学校仙台分校と取引できるといい」とも考えている。
(戸高大輔)

プロフィル

 たなか・もとひろ 宮崎市佐土原町出身。宮崎北高を中退し、米国の高校留学を経て武蔵大人文学部を卒業。パソコンの部品メーカーを振り出しに三つの会社で働き、2010年に現在の会社に入社。趣味はドラム演奏や筋トレ。埼玉県入間市に妻と子ども3人と暮らす。1968(昭和43)年10月生まれの49歳。

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