みやビズ

2018年7月17日(火)
キーパーソン

ソラシドエア(宮崎市)社長 髙橋宏輔さん

2017/10/16
20171013-1admin-image-1507887177-%282%29.jpg 「故郷である九州に恩返しをしたい」。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行したときからの思いが、「九州・沖縄の翼」を掲げるソラシドエアの社長就任という形で実現した。中期経営計画(2017~20年度)の柱である国際定期便の就航を目指す中、国内では格安航空会社(LCC)との競争がますます激化する。同社の次なる成長に向け、手腕が期待されている。

次なる成長へまい進


「やっと故郷の九州に恩返しできる」と語るソラシドエアの髙橋宏輔社長

「やっと故郷の九州に恩返しできる」と語るソラシドエアの髙橋宏輔社長

 「故郷である九州に恩返しをしたい」。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行したときからの思いが、「九州・沖縄の翼」を掲げるソラシドエアの社長就任という形で実現した。中期経営計画(2017~20年度)の柱である国際定期便の就航を目指す中、国内では格安航空会社(LCC)との競争がますます激化する。同社の次なる成長に向け、手腕が期待されている。

 東京大法学部に在学中、行政法ゼミで「大都市行政の法的諸問題」をテーマに取り組んだ。そこで都市開発や地域開発に関心を高めたことが、入行の決め手となった。同行の都市開発部はビルや民間鉄道会社の新線開発を担当し、地方開発部は工場立地から脱却し、観光やリゾートなどに注力し始めた時代だった。「やっている仕事は両方でまったく違ったがどちらも魅力的だった」
 
 入行後は大手航空会社による旅客機の大量発注業務や関東甲信越の地区担当、旧大蔵省への出向などで、多くの経験を積んだ。しかし、「ずっと希望していた九州と都市開発部の配属だけはなかった」。同部へ初めて配属されたのは部長になってからだった。そして、そこで指揮を執った大型商業ビルのワークアウト(金融主導による企業再生)が最も印象に残る仕事となった。

 リーマンショックの前、外資系投資ファンドはこぞって都心の商業ビルを買いあさり、証券化して投資家たちに売り払っていた。これにより都市部の不動産価格は上昇し、「プチバブル」とも評された。しかし、リーマンショックでこのプチバブルが崩壊したことにより、ファンド会社は自社運営していたビル管理会社のリストラを開始。そこで働く人たちは次々に首を切られた。そして、管理会社は実質的にペーパーカンパニーとなり、「都内の有名なビルでさえも警備や清掃が行き届かない状態となり、人知れず“無政府状態”になっていた」という。

日本政策投資銀行の都市開発部長時代に手掛けた大型商業ビルのワークアウトについて話す髙橋宏輔社長

日本政策投資銀行の都市開発部長時代に手掛けた大型商業ビルのワークアウトについて話す髙橋宏輔社長

 同行は、こうした状態の解消に向け、紙切れ同然となった債権を買い集めに走った。債権者は香港、シンガポールまで及んだ。複雑に入り組んだ権利の解消や、債権の投げ売りの阻止など、ダイナミックな仕事の連続だった。そして、債権を買い集めて、再びガバナンスを効かせることで、管理会社を実体ある企業として再生させた。これにより、いくつものビルを人知れずよみがえらせた。「思い入れ深いビルもいくつかある。いろいろなことがあっても動揺しないようになった」と笑う。

 常務執行役員などを経て、今年6月にソラシドエア社長に就任した。「銀行マンとして多くの企業を客観的に評価してきた経験が生きる」と話す。一方で、「(銀行マンは)常に評価するばかりで、自分で(組織を)担いでまい進することが必ずしも得意でない人もいる。だが、私は走り回るのが好き。個人的な性格で(銀行マンの)デメリットをカバーできる」と自信をのぞかせる。
 
 西都市で生まれ、父の転勤で九州各地を転々とした。県内での居住経験はないが、父の出身地が日南市だったこともあり、本籍地は同市だという。日南海岸のドライブや青島海水浴場で泳いだことなど、帰省したときの記憶はいまも鮮明に残っている。

 小学校で転校が多かったことを両親が気にかけ、中学、高校は寮の完備された鹿児島市のラ・サールへと進学した。そして、中3のときに父が病死した。ラ・サール学園は学費を免除してくれた。そして、そのほかの費用は地元企業が募集した返還不要の奨学金を受け取り、中高を卒業した。また、同学園は6歳下の弟についても学費免除という形で支援してくれたという。

 「苦労したというより、ラ・サールや地元企業などいろんな方に助けてもらったありがみの方が強い」と感謝の気持ちを忘れていない。ソラシドエアの社長に就任したことで「やっと地元に恩返しができる」という言葉には、そんな思いが詰まっている。

(巣山貴行)

プロフィル

 たかはし・こうすけ 1984(昭和59)年に日本開発銀行に入行。2011年から都市開発部長、常勤監査役を経て15年から常務執行役員。3人の子どものうち2人は来春、中学、高校受験を控えており、東京の自宅に帰ると父と家庭教師の二役をこなす。1961(昭和36)年7月生まれの56歳。


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