みやビズ

2018年6月24日(日)
キーパーソン

宮崎銀行頭取 平野亘也さん

2017/08/07
突破力で難局を乗り越える 入行してからの40年余りを振り返った時、二つのターニングポイントがあったという。10年間の東京勤務と、審査部時代に手掛けた宮崎交通の再建案作りだ。物腰は柔らかだが、数々の難局で強力なリーダーシップを発揮。

突破力で難局を乗り越える


行内の市場金融部で若手行員と。「力を入れたい施策は女性と若者と国際化。この三つが今後のキーワード」と語る平野亘也頭取

行内の市場金融部で若手行員と。「力を入れたい施策は女性と若者と国際化。この三つが今後のキーワード」と語る平野亘也頭取

 入行してからの40年余りを振り返った時、二つのターニングポイントがあったという。10年間の東京勤務と、審査部時代に手掛けた宮崎交通の再建案作りだ。物腰は柔らかだが、数々の難局で強力なリーダーシップを発揮。その「突破力」が高く評価され、前任の小池光一会長から経営のバトンを託された。頭取就任から3年目。少子高齢化など厳しさを増す本県経済の浮揚に一層の活躍が期待される。

 1975(昭和50)年入行。最初の配属先は延岡市の祗園町支店。預金の受け入れや払い出しなどの窓口業務担当なのに、そろばんが不得意で計算ミスもしばしば。一方で来店客に座ったまま「いらっしゃいませ」と言う同僚の姿に納得できなかった。一人だけ毎回立ち上がってあいさつする生真面目な青年だったが、先輩の女性行員からは「平野君。計算が合わないんだから、ちゃんと座って仕事して」と怒られていたという。

 同期は36人。しかし、行員番号は37番で「誰か優秀なやつが入行を辞退したから、代わりに俺が拾われたのか」。東京の大学を出て、そのまま就職するつもりが、夏になると光化学スモッグに悩まされた。古里に戻って宮銀に入ったけれど高い理想などなかった。数年後に結婚した妻には「銀行員をいつ辞めてもいいか」と話し、夜も同僚より地元北川町の消防団員らと飲むことが多かった。

 祇園町での3年目、佐藤勇夫相談役が直属の上司になった。配属希望先などを書く「自己申告書」にどう回答しようか悩んでいた時、佐藤相談役に国際業務を勧められた。理由は「国際業務をやっているところに小さな支店はない。面白いぞ」。4年間の油津支店勤務を経て、入行9年目の84年、31歳で東京へ。支店に1年、残り9年を同じビル内の外国部(現国際部)で過ごした。「あの10年間が銀行員としての基礎を築いてくれた」

 外国部は小規模だが、預金集め、融資先や運用先探し、外国為替など銀行業務の一つ一つを全て一人で行う。最先端の金融事情に触れ、他行や総合商社の人たちとも交流して視野が広がり大きな自信を得た。何より時代はバブル経済のまっただ中。銀行が土地を担保に融資攻勢を強め、総量規制で地価が抑えられたとたんにバブルがはじけるのを目の前で見た。
 
「10年間の東京勤務と、宮交再建に携わったことが大きなターニングポイントだった」と語る平野亘也頭取

「10年間の東京勤務と、宮交再建に携わったことが大きなターニングポイントだった」と語る平野亘也頭取

 審査部次長だった2004年には経営再建中の宮崎交通の支援策をまとめた。これを機に「銀行に骨をうずめよう」と決意することになる。1999年、金融庁は銀行業務の指針となる「金融検査マニュアル」を導入。厳格な資産査定で不良債権処理を優先するやり方に「地域経済を支える中小企業の経営実態に配慮していない」と違和感があった。名門宮交も跡形なく解体される可能性がある中、創業者の岩切章太郎氏の著書「無尽灯」や社史を読み、本県の発展を支えてきた「宮交は絶対に残した方がいい」と確信した。

 葛藤もあった。再生には借金を極力減らすべきだが、貸した銀行の立場としては債権カットは少ない方がいい。行内に異論もあったが、最終的には宮交の立場に立った。「再建できなかったら俺が宮交へ移ってでもやる」と決心。当時頭取の佐藤相談役も背中を押してくれた。大手旅行会社や投資会社が支援に名乗り出ていたが、県外企業を加えた地元企業連合がスポンサーとなる支援策をまとめ上げ、宮交を支援していた産業再生機構に認めてもらった。

 当時の突破力を示すエピソードがある。数年後の経営企画部長時代。決算発表で訪れた福岡証券取引所で奥井洋輝理事長(元九州電力副社長)に声を掛けられた。「昔、宮銀に面白いやつがいた。僕に会いに来て『宮交へ出資してください』と。普通は役員級が来るのに部次長だと。どんなやつか顔を見たくなって会ったけど、あいつ今どうしてる」。「すみません理事長。それ、私です-」

 北川町の野山を駆け回った少年時代。夏は家田(えだ)湿原でウナギ捕りに熱中し、夜は美しい星空を眺めた。常務取締役本店営業部長だった2010年、本県経済は口蹄疫や新燃岳噴火で疲弊していた。経済損失は口蹄疫だけで2350億円。行内でも取引先の支援について議論した。「これ以上リスクは取れない」との意見に「地域金融機関がここで逃げては駄目だ」と訴えた。

 当時頭取の小池会長には「私が責任を取ります」とまで言った。すると「何を生意気なことを言っているんだ。責任を取れるのは頭取しかいないんだ。責任は俺が取る」と頼もしい言葉が返ってきた。怒られたが、涙が出るほどうれしかった。生まれも育ちも東京の小池会長が宮崎のために腹をくくってくれた。頭取となった今、自分も古里のために全力で汗を流す覚悟だ。
(久保野剛)

ここが聞きたい

 -2年間を振り返って。やりたいことはできたか。

 少しずつできている。地方創生、事業性評価、女性活躍推進は宮銀の行章にちなんで3本柱と言っているが、まさしく地方創生は地方銀行としての一丁目一番地だし、それをきちんとやるために事業性評価と女性活躍推進がある。女性活躍推進については想定以上に実績が上がっている。以前は結婚後に5~6割が仕事を辞めていたが、今は継続して働く人の割合が6割で、それを3年間維持。人材確保の面からもプラスだ。従来の制度のままで少し意識を変えただけだが、大きな成果が出て驚いている。

 -これから力を入れたい施策は。

 女性と若者と国際化。この三つが今後のキーワード。働き方改革も含めて、女性や若者に投資をしていかないと、地方は元気にならない。もう少し国際化しないと宮崎の成長には限界がある。国際化は他国と貿易するということだけではなく、国際的な企業が入ってくるのも一つの方法。日機装が好例だ。国内企業だがグローバルに展開している。2018年からは入行3年目の総合職全員を対象にアジアで海外研修を行う。若い行員への投資が人材力を高め、競争力向上や他行との差別化につながると考えている。

プロフィル

 ひらの・のぶや 学習院大経済学部卒。常務取締役、代表取締役専務などを経て2015年6月から現職。趣味はスポーツ観戦と山歩き。宮崎銀行女子陸上部の部長も務める。好きな言葉は福沢諭吉の「一身独立」。65歳。

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