みやビズ

2018年7月16日(月)
キーパーソン

宮崎日機装(宮崎市高岡町)社長 西脇章さん

2017/06/19
可能性は無限大 2021年度末までに500人、事業が順調に推移すれば1000人規模の雇用も-。航空機部品の工場としてスタートし、将来は産業用特殊ポンプや血液透析装置などの増産に対応できる日機装(東京)グループの基幹工場として、また本県経済の大きなけん引役になることが期待されている宮崎日機装の初代社長に就任した。親会社のある東京と本県を頻繁に往復。来年夏の操業開始に向け、人材確保などに飛び回る日々だ。「日機装が持つ個性的な事業群と宮崎の持つポテンシャルを組み合わせると、新工場の可能性は無限大。どう成長し、地域に貢献するか。考えるだけでワクワクする」と意気込む。

可能性は無限大


新工場の建設が始まった宮崎市高岡町の宮崎ハイテク工業団地で。12ヘクタールの広大な敷地に「いろんな発想がわいてくる。興奮している」と語る西脇章社長

新工場の建設が始まった宮崎市高岡町の宮崎ハイテク工業団地で。12ヘクタールの広大な敷地に「いろんな発想がわいてくる。興奮している」と語る西脇章社長

 2021年度末までに500人、事業が順調に推移すれば1000人規模の雇用も-。航空機部品の工場としてスタートし、将来は産業用特殊ポンプや血液透析装置などの増産に対応できる日機装(東京)グループの基幹工場として、また本県経済の大きなけん引役になることが期待されている宮崎日機装の初代社長に就任した。親会社のある東京と本県を頻繁に往復。来年夏の操業開始に向け、人材確保などに飛び回る日々だ。「日機装が持つ個性的な事業群と宮崎の持つポテンシャルを組み合わせると、新工場の可能性は無限大。どう成長し、地域に貢献するか。考えるだけでワクワクする」と意気込む。


 横浜市出身というだけで洒脱(しゃだつ)な印象を受けるが、実家は京浜工業地帯の一角をなす同市鶴見区の町工場。ものづくり企業で働きたい思いは幼い頃からあった。当時は公害が大きな社会問題。河川浄化の技術を持つ企業で働くことをテーマに就職先を探したが、大学を卒業した1977(昭和52)年は第1次オイルショック後の不景気が続く就職氷河期。文系学生の採用枠は少なかった。

 そんな中で門戸を広げていたのが日機装。水処理技術を持ち、血液透析装置などのメディカル事業が好調で業績も良かった。70人近い同期とともに採用され、まずは総務部に配属。自社不動産の管理や株主総会の準備などを経験し、その後は総務部から独立した法務室で契約や特許管理などを担当した。

 法務室長時代で思い出深いのは、86年の米航空機大手ボーイングとの炭素繊維プラスチック(CFRP)の製造技術に関するライセンス契約だ。宮崎日機装でも生産するCFRPの製品を、日機装は81年から製造。機体の軽量化などにつながるとして、ボーイングがその技術に関心を示した。世界的企業との有償契約は大きなメリット。だがCFRPの製造は当時の先端技術で、提供には国の許可が必要だった。

 ところが通常は1カ月程度で下りる許可が3カ月たっても出ない。上司の命令もあり、靴底をすり減らして通商産業省(現経済産業省)へ日参。ようやく許可を得て、契約にこぎつけた。すると翌年、東芝の子会社が対共産圏輸出統制委員会(ココム)規制に違反し工作機械をソ連へ輸出した「東芝ココム違反事件」が発覚。ようやく許可に時間を要した謎が解けた。

「日機装の個性的な事業群と宮崎のポテンシャルを組み合わせると、新工場の可能性は無限大」と語る宮崎日機装の西脇章社長

「日機装の個性的な事業群と宮崎のポテンシャルを組み合わせると、新工場の可能性は無限大」と語る宮崎日機装の西脇章社長

 経営企画室長だった2005年には、本県出身の甲斐敏彦社長の指示で中期経営計画の策定に着手。あらゆるデータを収集して分析したものの、初めての作業は難航した。ある日、しびれを切らした甲斐社長に口頭で原案を示すよう求められた。迷いつつも、覚悟を決めて言った。「(売上高の)桁を一つ上げたい」

 当時の売上高は500億~600億円。1000億円は野心的な数字で、到底受け入れられないと思っていた。ところが甲斐社長は「それでいい」とうなずいた。驚いていると「何年で達成するつもりか」と畳みかけられた。「6年」と答えると「長い。5年だ」と厳命された。

 06年、売上高1000億円を視野に入れた中計(3カ年)がスタート。当初は社員も半信半疑だったが、計画達成に一丸となり、右肩上がりで売り上げを伸ばした。09年には独の大手特殊ポンプ会社を買収するなど業容を拡大。想定から2年遅れの12年度に売上高が1000億円を超えた。

 最新の中計(16年から5カ年)では20年に売上高2000億円の目標を掲げる。16年が1328億円であることを考えると、なかなか高いハードルだ。達成には宮崎日機装の成功が不可欠。「広大な工場の建設予定地を見ていると、いろんな発想がわいてくる。宮崎日機装は子会社だが、間違いなく日機装の中心。その始まりに関与し、とても興奮している。頑張らないといけない」と口元を引き締めた。

ここが聞きたい

 -採用活動は順調か。

 宮崎日機装は産業用特殊ポンプを製造するインダストリアル、血液透析装置などのメディカル、航空機部品の航空宇宙という日機装が持つ3事業の将来を支える最重要生産拠点になる。まずは航空機部品向けに本年度は30人、来年度は100人を採用予定。本年度については非常に優秀な人材が多く、実は40人に内定を出した。来年度の採用では私がじかに面接しており、7月中旬までかかる。宮崎日機装で働きたいという気持ちをそれぞれから聞きたいからだ。県外からのUターン者や男女比率、年齢層などバランスのとれた人材が集まっている。

 -県外から見た本県の魅力は

 初めて来県したのが昨年9月。東京から距離はあるが、空港が近くて飛行機の便数も多い。北のシーガイア、南の青島、そして西の宮崎日機装を結んだ三角形のエリアは、車で30分以内の移動が可能。その中に県庁や市役所、ビジネス街がある。観光もできて非常にコンパクト。アクセスの良さと一緒にもっとアピールした方がいい。宮崎日機装はグループ内の最新にして最大の製造拠点。海外からの視察も多くなる。そういう人たちを受け入れられる施設があるのもうれしい。

プロフィル

 にしわき・あきら 早大法学部卒。文学青年で日本史の教師にもなりたかった。本県への赴任決定後、真っ先に手にしたのが古事記。「時間をつくり、本の中に出てきた土地を訪れたい」。日機装の常務執行役員、副社長などを経て今年3月の宮崎日機装設立と同時に社長就任。62歳。

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