みやビズ

2018年5月20日(日)
キーパーソン

TOMOGRAPH(東京)代表 川越智勇さん

2017/06/12
20170609-1admin-image-1496999938.jpg広告に新風吹き込む 広告に新たな手法を吹き込み、その仕事ぶりが評価され、カンヌ国際広告祭、ニューヨーク広告祭の審査員まで務めるなど、輝かしい経歴の持ち主。広告を企画・制作するクリエイティブ・ディレクター(CD)になって13年目。業界で注目されているCDの一人だ。

広告に新風吹き込む


川越さんはクリエイティブ・ディレクターとなって13年目。マーケティング出身らしく、「商品やサービスがどうやったら売れるのか」ということを常に考える

川越さんはクリエイティブ・ディレクターとなって13年目。マーケティング出身らしく、「商品やサービスがどうやったら売れるのか」ということを常に考える

 広告に新たな手法を吹き込み、その仕事ぶりが評価され、カンヌ国際広告祭、ニューヨーク広告祭の審査員まで務めるなど、輝かしい経歴の持ち主。広告を企画・制作するクリエイティブ・ディレクター(CD)になって13年目。業界で注目されているCDの一人だ。

 一般的にCDへの道のりはデザインや文面を制作しながら歩むが、広告戦略を考えるマーケティング部門の出身という珍しい経歴の持ち主。その経験から「商品やサービスがどうやったら売れるのか」ということを常に考えるという。そのため、新商品の開発、販売戦略にも参加。扱う媒体も新聞、テレビ、ウェブなど幅広い。

 このスタンスを育んだのは、1992年に入社した大手広告代理店の旧旭通信社(現アサツー・ディ・ケイ)だ。最初の仕事はシステムエンジニア。広告効果の予測システムの構築に取り組んだ。しかし、「あまりにも広告業界全体を知らなかった」ため、社内留学制度を利用してマーケティング部署に異動。情報通信分野を担当した。

 そこで新たな出会いがあった。あるコピーライターから「コピー(広告の文面)やってみないか?」と誘われた。書いてみたところ、雑誌広告として掲載されることになった。すぐに面白さに目覚め、昼はマーケティングの仕事をして、夜はコピーを学ぶ日々を送った。「猛烈社員だった」と振り返るほど、多忙な生活を送った。努力が実り、30歳のころに正式にCDの職に就いた。以後はその腕を見込まれ、同社と電通の合弁会社ドリルでもCDを務め、2013年に独立した。

「一つの業種に縛られず、さまざまな世界を見ることができるし、いろんな人との出会いもある」と広告の仕事の魅力を語る川越さん

「一つの業種に縛られず、さまざまな世界を見ることができるし、いろんな人との出会いもある」と広告の仕事の魅力を語る川越さん

 手掛けた仕事は多彩だ。KDDIの「au」のネーミングやロゴの開発に加わったほか、日清食品の「どん兵衛」や、「スカパー!e2プロ野球2010」加入促進のCMを制作。100種類の色が選べるHOYAの一眼レフカメラ「PENTAX K-x」を担当したときは、広告を使わずにポスターやサンプルを来店者に見せる手法で宣伝して話題性を高めて、さらにウェブ上でカスタムオーダーできるような売り方を取り入れてヒットに導いた。

 こうした手法は国内外から評価され、カンヌ国際広告祭では05、06年続けてメディア部門のファイナリスト(最終審査)に残った。10年には日本広告業協会のクリエイター・オブ・ザ・イヤーでグランプリに次ぐメダリストを受賞。08年のカンヌ国際広告祭、15年のニューヨーク広告祭などでは審査員も務めた。

 広告業界に身を置いて26年目。最大の変化は新聞、テレビ、ラジオ、雑誌の4媒体にネット、モバイルが加わったことだという。「数年のうちに、ビジネスコンサルティング会社が広告業界に入ってくるだろう。そうなれば、広告だけをやっていては難しくなる。これは世界的な流れでもある」と見通す。

 自身の仕事の魅力は、業種に縛られず、さまざまな世界を見ることができ、多くの出会いがあることだという。やりがいも大きい。「自分のアドバイスによって、業績が伸びたり、赤字が黒字になったりすることも醍醐味(だいごみ)」と語る。「ビジネスに挑戦する人々を、構想力と実行力で支援し続けること」を目標に、これからも腕を磨き続ける。
         
(東京支社・戸高大輔)

ここが聞きたい


 -古里・宮崎で働きたいか。

 宮崎の一番の魅力は農業だと思う。これだけ物流が高度化していれば、農業を企業化できるのではないか。マーケティングをしっかりすれば、もうかる農業が実現できるかもしれない。そういうことに興味がある方がいれば、一緒に働きたい。それに、東京は人が集まり過ぎている。海外のようにいろんな都市にいろんな企業があっていい。

 -広告のクリエーティブ職に興味を持つ学生向けのアドバイスを。

 時代とともに職種は変わっていくもの。最初から決めなくてもいいのではないか。そのまま将来も残る職種の方が少ない。最初から可能性を狭くする必要はない。それよりも、海外を旅行するなどして見聞を広めてほしい。その経験が結果、自分の作るもの(広告)に影響していくものだ。 

プロフィル

 かわごえ・ともたけ 日南市南郷町出身。一橋大卒業後、1992年に旧旭通信社(現アサツー・ディ・ケイ)に入社。2011年、同社と電通の合弁会社ドリルに出向。13年に独立。15年からはマーケティングプロデュース業の会社ベストインクラスプロデューサーズの取締役も兼務する。1969(昭和44)年11月生まれの47歳。

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