みやビズ

2018年5月20日(日)
キーパーソン

博報堂コンサルティング(東京)シニアマネジャー 森門教尊さん

2017/03/13

ブランドづくりに挑む


 産業や市場が成熟し、価値観が多様化している現代で、将来にわたっていかに経営を持続させるか、ブランドコンサルタントとして企業と向き合っている。「ブランドは(消費者との)『背伸びした約束』。今のありのままを見せるのではなく、少しだけ未来の姿を夢見させる。そして、それを口に出すことが大切。いいものを作れば、黙っていても誰かが認めてくれ、光を当ててくれるという発想では駄目。大切なのは有言実行」と説く。

ブランディングの大切さを語る森門さん=東京都港区

ブランディングの大切さを語る森門さん=東京都港区

 幼少期を京都府で過ごし、小学4年の時、父の転勤で宮崎市に引っ越した。それまでおとなしい性格だったが、転校をきっかけにキャラクターを一変し、積極的に。通っていた中学校でバンド活動の解禁を求め署名活動を行うなど、大きなムーブメントを起こしたこともあった。既存を打破したいという意識が芽生えていた。「何か新しいことに取り組みたい、よその学校のいいところを取り入れたいという考え方は今の仕事に通じている」と振り返る。

 大学卒業後、大手コンサルティング会社へ就職した。コンサルティングにはITを駆使して業務の効率化を提案する「痩せることを支援するコンサル(ダイエット型)」と、将来を見据えて新規事業などを提案していく「太らせることを支援するコンサル(ストレッチ型)」の二つのタイプがある。大学卒業当時の90年代後半は、ヒト、モノ、カネに次ぐ第4の経営資源としてITが急速に発達した時代。入社した大手コンサル会社は、「ダイエット型」を得意とし、業績を伸ばしていた。「自分が思い描いたコンサルとは違う。やりたかったのは、規模を大きくして喜ばれること」。やっていることに違和感を覚えていたころ、大手広告代理店の博報堂がブランドコンサルティング部門を新設することを聞いた。「企業にとってブランドは第5の経営資源」という考え方に引かれた。2年間在籍した大手コンサル会社を離れ、2001年に博報堂へ入社した。
 
 印象深いプロジェクトは、入社2年目に担当した大手予備校の経営改革。浪人生は、1992年にピークの約27万人に達し、そこから徐々に減少して2002年には半減していた。さらに少子化が進み、大学全入時代を間もなく迎えると言われていた時期だった。浪人生の減少で予備校市場も衰退すると見込まれる中、どう構造改革をしていくかが課題で、それを実行するラストチャンスと捉えていた。しかし、職員の目は「お前みたいな若造に何が分かるか」「特殊なビジネスだから、外の人間には分かりませんよ」と冷ややかだった。

将来にわたりいかに経営を持続させるかを、ブランドコンサルタントとして企業と向き合う森門さん=東京都港区

将来にわたりいかに経営を持続させるかを、ブランドコンサルタントとして企業と向き合う森門さん=東京都港区

 そんな中で、高校生向けに個別ブースでの映像による授業や、社会人向け資格取得支援など新規事業を提案。また、収益性の高い事業は株式会社に、予備校など公益性の高いものは学校法人へと組織の再編も実施した。すると、コンサル後のグループ全体の売上は伸び、そのうち新規事業などの収益も格段に上がるという実績につながった。「数字が上がったこともうれしかったが、新しいことを貪欲にやろうと、職員のマインドが変わっていったのが何よりうれしかった」

 IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)など新しい技術の出現もあり、企業にとってブランドは今後ますます重要になると見ている。「ブランディングは人のイメージ、感情を動かす手法の一つ。新しい技術を掛け合わせながら、これまでと違うブランドづくりにチャレンジしたいし、ライフワークにしていきたい」と意欲は尽きない。
(清水克彦)

ここが聞きたい

 -宮崎の農産品のブランド化で大切なことは。

 ブランドをつくるというのは、ただ格好いい名前を付けたり、デザインしたりすることでははない。例えば、大分県の関サバ、関アジが、なぜブランドとして確立し値段も高く取引されているかというと、一本釣り、面買い、活け絞めをした上で、出荷する1匹1匹にタグシールを付けるなど、漁協に明確なルール(約束)がある。また、鮮度管理、運搬も自前で行うなど、約束を守る状態にして信頼を高めている。宮崎の農産品でも同じように付加価値を高めるためにできることはあるはずだ。
 
 -今後のブランドの行方は

 異業種の会社同士が、あるテーマでつながりブランドをつくるコンソーシアム(連合)型や、同じ業界のライバル同士が組むことも考えられる。1人の顧客を奪い合うのでなく、潜在している顧客を一緒に掘り起こすことになるのではないか。

プロフィル

 もりかど・のりたか 1975年東京都生まれ、京都府育ち。父の転勤で小学4年の時、宮崎市へ移住。宮崎大宮高、国際基督教大(ICU)卒。大手コンサルティング会社を経て、2001年に博報堂入社。2014年から現職。国内外問わず、旅行で見聞を広め、リフレッシュする。

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