みやビズ

2018年4月24日(火)
キーパーソン

高原ミネラル社長 成松八州子さん

2017/02/13
西日本トップクラスの自動販売機保有台数を誇る高原ミネラル(宮崎市)。創業者である夫・久長さん(現会長)を支え続け、従業員や飲料メーカー担当者には家族のように接してきた。「ゆくゆくは会社を継ぐ娘たちに背中を見せてやれ」と夫の後押しもあり、経営のバトンを受け取って約5年。「今まで通り、飲み物を売るだけでは業況は厳しくなる」と、大手コンビニと提携した自販機型無人コンビニ(ASD)を九州で初めて展開し、未開拓だった市場を切り開いている。

自己流営業で新市場開拓


配送に向かうトラックや整備する自販機でごった返す会社の敷地内に立つ成松八州子社長。「信頼を重ねて会社をさらに大きくしたい」と意気込む

配送に向かうトラックや整備する自販機でごった返す会社の敷地内に立つ成松八州子社長。「信頼を重ねて会社をさらに大きくしたい」と意気込む

 西日本トップクラスの自動販売機保有台数を誇る高原ミネラル(宮崎市)。創業者である夫・久長さん(現会長)を支え続け、従業員や飲料メーカー担当者には家族のように接してきた。「ゆくゆくは会社を継ぐ娘たちに背中を見せてやれ」と夫の後押しもあり、経営のバトンを受け取って約5年。「今まで通り、飲み物を売るだけでは業況は厳しくなる」と、大手コンビニと提携した自販機型無人コンビニ(ASD)を九州で初めて展開し、未開拓だった市場を切り開いている。

 高校卒業後、宮崎信用金庫に入庫し、主に窓口業務を担当していた。22歳の時に取引先に見合い相手として紹介されたのが、高原ミネラルの前身のアイスクリーム卸問屋を営んでいた久長さんだった。お見合いから2カ月後に結婚。「おいしいアイスクリームがたくさん食べられるかもという不純な動機もあった」と笑う。

 「お嫁に来てくれたら何もしなくていい」と言われたが、集金や伝票の整理などやるべきことは山積。結局は手伝うことになり、日々忙しく働いた。夏場は青島海水浴場の海の家にアイスクリームを卸すなどしており業績は好調だったが、一度台風が来れば客足とともに売り上げも落ちた。天候に左右されない商材は何かを考えた時に浮かんだのが、当時人気を集めていた缶コーヒーだった。1975(昭和50)年に事業の柱を自販機運営にシフト、67台を導入。珍しさも手伝って設置台数は増えていった。

 前金払いを原則とする飲料メーカーもあり、入荷するための資金繰りに苦戦した。「子どもを寝かせてから売り上げを計算したり、金策を考えたりと寝る時間はほとんどなかった」と振り返る。極度のストレスからか、30代後半の時に髪がすべて白髪になったこともあった。

 転機は45歳の時。久長さんから専務就任を命じられた。営業の経験もなく、一度は断ったが「将来会社を継ぐであろう子どもたちの手本になってほしい」と説得され、受け入れることにした。専務になってすぐ、鹿児島市の繁華街・天文館での営業に出かけた時のこと。カタログを手に店を回っても、いい反応を得られなかった。同行した営業担当の従業員に「女に営業なんかできるか」と言われ、「このままじゃ悔しい」と発奮。粘り強く交渉を続け、一度は断られた二つの店で契約にこぎ着けた。

「無人コンビニ事業の市場規模は広い。設置台数をさらに増やし、娘たちにいい形で会社を渡すための基盤を整えたい」と話す成松八州子社長

「無人コンビニ事業の市場規模は広い。設置台数をさらに増やし、娘たちにいい形で会社を渡すための基盤を整えたい」と話す成松八州子社長

 ある日、宮崎市内を営業で回っている時に「この大きな建物は何だろう」と思い、ふらっと立ち寄った。自販機設置の営業をかけると、とんとん拍子に話が進んだ。実は市の施設で「営業経験が長い人は、つい『公的機関は時間もかかるし無理』と決め付けてしまう。素人に近い感覚だからこそ先入観なく入っていけた」と感じている。自身の体験を元に、会社を支えてくれている3人の娘たちには「恐れずに戸をたたいてみよ」と伝えている。

 その後も2億円を投じて高原町に製氷工場を新設したり、後継者不足に悩む県外の小規模自販機運営会社の合併・買収(M&A)を実施したりして業容を拡大していった。5年前に社長に就任してから考えていたのが、自販機や製氷事業以外の収益源。「少子化が進めば需要は先細る。何か新しいことに挑戦しなければならなかった」と話す。

 ASDのことを知ったのは2015年。長女で専務の敬子さん(39)が参加した会議でのことだった。飲み物だけでなく、弁当やサンドイッチなども買える自販機で、首都圏の企業などでは既に導入が進んでいた。安全上の問題から入退室に制限がある職場などからの需要もあるという。九州ではまだ導入例がなかったため、すぐに運営元のファミリマートに出向いて交渉し1年後に契約にこぎ着けた。

 「ASDだと、これまでに自販機での契約が取れなかった企業でも受け入れてくれている。市場規模はかなり大きい」と手応えを感じている。3月末までに福岡県を中心に100台の設置を目標に掲げ、ゆくゆくは九州各地での導入を目指す。

 娘たちは県外の事業所の統括や企画などで活躍しており、「私が『やりなさい』と言ったことは一度もないが、私の背中を見て付いてきてくれている」と安堵(あんど)の表情。「夫が一代で築いてきたこの会社をいい形で次世代に渡せるよう、さらに信頼を重ね、知名度を上げていきたい」と話す。
(西村公美)

ここが聞きたい

 -自転車のチューブを販売するものや募金型など多彩な自販機を展開している。

 ただ飲み物を売るだけでは、他のメーカーと同じになってしまい、淘汰(とうた)される。売り上げの一部が支援団体に募金されるものなどを積極的にPRしている。社会貢献も企業の大事な役割。これからの時代は「自分さえよければいい」という発想では会社は成長しない。

 -コンビニの台頭など自販機業界を取り巻く環境は厳しい。生き残るにはどうすべきか。

 信頼を積み重ねることに尽きる。会社が40年たっても堅調でいられるのは、これまでの信頼がベースになっているからだ。相手方に「この人となら契約したい」と思ってもらえるような印象付けや、取引先や一台一台の自販機を大切にする心を持った社員を育てることも徹底しなければならない。

プロフィル

 なりまつ・やすこ 宮崎市高岡町出身。「ビタミンの父」と呼ばれる同町出身の医学者・高木兼寛と遠戚。2012年から現職。趣味は読書で「仕事で行き詰まったときには本を手に取る。そこに答えを探しに行っているのかも」と笑う。1952(昭和27)年12月生まれの64歳。


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