みやビズ

2019年9月20日(金)
キーパーソン

エスケイエンジニアリング(福岡県筑紫野市)会長 光森徳雄さん

2015/08/31
地形や構造物を空から撮影できる電動ラジコンヘリについて社員と話す光森会長(右)

地域貢献の思い胸に若手育成

地形や構造物を空から撮影できる電動ラジコンヘリについて社員と話す光森会長(右)

地形や構造物を空から撮影できる電動ラジコンヘリについて社員と話す光森会長(右)

 道路や橋などのインフラを手掛ける土木建設。もともとは海外での仕事に憧れて身に付けた技術を使って古里宮崎を含め九州全域の公共工事に携わり、地域貢献への思いを胸に励んできた。公共工事が減り経営環境が厳しい中でも新しい技術を取り入れ、次世代につなごうとしている。

 土木建設を学ぼうと思ったのは青年海外協力隊に憧れたから。妻高校卒業後、県産業開発青年隊を経て、海外でのインフラ整備などに当たる技術者を養成する旧建設省の建設大学校中央訓練所(静岡県富士宮市)で土木建設の基礎を学んだ。

 卒業後は静岡の土木建設会社に就職。県内トップクラスの企業で、道路建設やほ場整備などの現場監督として経験を積んだ。英語を勉強しながら海外への思いを温めていたところ、知人がマレーシアで始めるココナツオイルの精製事業への誘いを受けた。会社を退職しマレーシアで2年間ほど事業計画を準備したが、資金繰りなどがうまくいかず計画は立ち消えに。その後、宮崎で土木工事のアルバイトをしていると、福岡県筑紫野市で現会社を設立して間もなかった先輩から「仕事があるから手伝ってくれないか」と声を掛けられた。

 入社したのは1979(昭和54)年。宮崎では同年に行われる宮崎国体関連の発注が次々と舞い込んでいた。その時の業務は監督補助業務、今で言う発注者支援業務。従来、国が行ってきた土木建設工事の施工審査や各種検査などの業務が民間に委託されるようになり、公務員削減の施策と相まって宮崎国体関連工事で本格的に実施された。会社を一時的に手伝うつもりで入社したものの、国体の仕事が一段落すると次は測量・設計の立ち上げを担うことになった。

「土木建設の若い技術者を育てていきたい」と話す光森会長

「土木建設の若い技術者を育てていきたい」と話す光森会長

 82(同57)年に測量・設計部門をスタート。学生時代の人脈を生かし、九州全域で道路などの公共工事の下請けを手掛けながら測量・設計の技術者も育成し、同部門を事業の柱の一つに成長させた。会社設立から15年。健康上の理由で社長職を退く先輩から「おまえがやれ」と後継指名されたのが40歳半ばだった。既に取締役だったので「自分がやらなければいけない雰囲気を何となく察知していた」

 昨年5月に会長に退くまで21年間務めた。この間、10年ほど前からは少しずつでも上がり続けていた会社の業績が厳しくなったことも。公共工事そのものが減少し、民主党政権下でもさらに受注は縮小。発注者支援業務は大きな落ち込みまではなかったが、会社の売り上げは最盛期の7割程度となった。

 作業の電算化を進めながら、新しい技術も導入した。業界の図面は従来、数値を基に完成形をイメージしていたが、電動ラジコンヘリで地形や構造物を撮影したり、3次元の立体計測機器も使い、実際に目で見たようなデータとして提供できるようになった。近年は業績も少し上向き始めており、「今後は新しい技術を調査、施工、メンテナンスまで結び付けたい」と意気込む。

 目下の課題は若手技術者の育成。一人前になるには測量で3年、設計は10年程度かかる。現場の高齢化は進んでいるが、災害復旧など急を要するときには体力的に負担が増え敬遠する若者も少なくない。「復旧を待っている人がいる。大変だが頑張れば喜んでもらえる。地域、社会貢献という気持ちを持ってもらえたら」。長年励んできた土木建設業界の技術に誇りを持ち、魅力を伝えたいと思っている。

ここが聞きたい

 -最近の土木建設業界は。

 以前のように新たな何かを造るというよりは、維持・管理やメンテナンスという業務が増えている。防災、減災などの災害関連も多い。ただ、九州の市町村を回ると技術者不足が深刻。インフラを調査する人材が確保できていないのが現状だ。

 -海外で仕事をする予定は。

 早めに退職してシルバーボランティアすることも考えたが、体調を崩して難しいので、今は海外からの留学生を会社で受け入れ技術を学ばせたりしている。カンボジアからの留学生は社員として技術を学んだ後、自国に戻り測量会社で働いている。外国人留学生向けの奨学金などにも協力しており、今後も続けていきたい。

プロフィル

 みつもり・とくお 西都市妻出身。福岡県太宰府市に妻しげみさん(65)と暮らす。長男(38)は同県春日市、長女(35)は東京に暮らす。小学1年と3歳の孫もいる。20年ほど前から休耕田を借りて始めた家庭菜園は本格的でゴーヤー、ピーマン、キュウリなどさまざまな野菜を無農薬で育て、「アドバイスを求められることもある」。1949(昭和24)年6月生まれの66歳。

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