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2019年10月14日(月)
キーパーソン

ブンリ会長 田代實さん

2015/08/10
消耗品を使用しない「フィルターレス」のろ過装置を広めたいと語る田代会長=東京都品川区

誠実こそ経営の基本

消耗品を使用しない「フィルターレス」のろ過装置を広めたいと語る田代会長=東京都品川区

消耗品を使用しない「フィルターレス」のろ過装置を広めたいと語る田代会長=東京都品川区

 工作機械で金属を研削すると出る切粉の分離機など、超精密ろ過装置メーカーのブンリ(都城市高城町)を大きく成長させた。昨年の売り上げは約30億円、技術は業界トップクラスを自負する。ろ過装置製造開発の功績が認められ、2014年11月には黄綬褒章を受章。現在も消耗品を使わない「フィルターレス」のろ過や切粉処理技術の開発への意欲を燃やす。

 都城市の農家の三男に生まれ、両親は職業軍人に就かせようとした。敗戦で方針が変わり、「国鉄はつぶれん」と1949(昭和24)年に熊本鉄道高校(熊本市)へ進学した。成績は優秀で、3年生の3学期には「直方駅(福岡県直方市)へ出勤せよ」と辞令が出たほど。「卒業式にも直方駅から行った」と懐かしむ。

 52(同27)年4月、国鉄入社。直方駅に勤務し、石炭を運ぶ貨車の仕分けに汗を流した。石炭が「黒ダイヤ」ともてはやされた時代で、街は活気にあふれていた。日勤、夜勤、非番が繰り返される勤務体系を利用して翌年には八幡大(現九州国際大)法学部へ入学、4年間で卒業した。

 58年に東京の大崎駅へ転勤したのが転機となった。非番のときに列車の軸受け製造工場で手伝いを始めた。直方時代に知り合った社長の工場で、60年1月に「新しい会社をつくるから来ないか」と声が掛かった。2カ月後に国鉄を退職。同年5月には工場の手元照明を製造する会社「永光」の設立に参加。工場長に就任した。「創業の苦労もあったが、楽しさもあった」と振り返る。

「霧島を見るとほっとする」と語る田代会長=東京都品川区

「霧島を見るとほっとする」と語る田代会長=東京都品川区

 62年、金属を研削する際に摩擦抑制と冷却のために使用するクーラント(切削液)から、磁石を使って金属の切粉を分離するクーラントセパレーターを開発。本格的に分離機業界へ参入した。

 5年後、大きなピンチが訪れる。切粉を運び出すコンベヤーのベルトが切れる不具合が発生。すでに100台以上を出荷していた。取引先の信用を失い、会社がつぶれて夜逃げすることも覚悟した。しかし「自分たちがつくった製品に責任を持つ」との強い思いで無償交換を行い、乗り越えた。このときの決断が今に至る自社への信頼につながっているとして、経営の基本となっている。

 売り上げを約20億円まで伸ばした77年、長く夢だった海外進出を模索。商社に相談したが、らちが明かず、市場調査のために自ら訪米した。現地につてはなく、ツアー旅行の自由行動で自動車生産の本場デトロイトを訪れた。見学させてくれる工場はなかったが、現地の日本食レストランでチャンスが待っていた。スタッフに事情を説明すると、フォードの機械調達部門のトップを紹介してもらえ、工場を見学することに。自社製品が世界で通用すると確信を持って帰国。その後の米大手コンベヤーメーカーとの販売契約につながった。

 2003年に社長を長男の誠さんに譲った。何年もかけ築いた信頼が一瞬で崩れることを知っているからこそ、親子の名前をつなげた「誠実」は会社のモットーだ。社員125人のうち、約100人が都城市高城町の本社工場で働く。「多能工を実践する社員は宝」と語り、社員用駐車場に桜島の灰から守るため屋根を付けるなど心遣いも忘れない。

 現在も自らアイデアを出し、製品化へつなげている。「ゼロコンマ数ミリの世界に入らないと世界で勝負できない」と開発への意欲は衰えない。

ここが聞きたい

-古里の存在とは。

 霧島連山が古里そのもの。中学卒業してから、休みの日しか帰れなかったから、霧島を見るとほっとする。工場のある都城市高城町からの霧島が格好良く見えるのが気に入っている。

 -今後の展開は。

 消耗品を使用しない「フィルターレス」のろ過器を世界中に広めたい。消耗品交換の手間が省けるので、その分、生産に人材が回せる。こんなものがあったのかと、驚き喜んでもらいたい。また地球温暖化で環境がおかしくなっていると感じており、環境に優しいものを開発したい。

プロフィル

 たしろ・みのる 1933(昭和8)年4月、都城市生まれ。66(同41)年に現ブンリの専務、71年に社長就任。2003年から現職。東京都世田谷区に妻、長女と暮らす。庭木の手入れをしながら、技術の構想を練っている。

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