みやビズ

2020年2月17日(月)
キーパーソン

宮崎カーフェリー社長 黒木政典さん

2011/06/09

京浜航路への熱い思いで業界に

宮崎港に停泊中のフェリー「おおさかエキスプレス」と黒木社長

宮崎港に停泊中のフェリー「おおさかエキスプレス」と黒木社長。本県物流に海上航路が欠かせないことを強調する

 「生まれは日向市細島。9歳まで海のそばで船を見ながら過ごした」。幼少の記憶がこの仕事の原点として潜在する。学生時代に過ごした東京から宮崎を眺めたとき、その孤島ぶりにショックを受けた。偶然、新聞記事で川崎市(神奈川県)と細島を結ぶ京浜航路の就航を知る。「宮崎を活性化させるのはこれしかない」。迷いなく宮崎カーフェリーの前身、日本カーフェリーに履歴書を提出した。

 入社は1970(昭和45)年。早々に川崎-細島航路のプロジェクトチームに入り、日向市勤務となる。「昭和46年、細島港で就航初便を迎えたときの感激は今も忘れない。人や物をダイレクトに首都圏に運び、宮崎を盛り上げる意欲で胸が膨らんだ」と目を細める。主に人事、労務担当で、採用のほか乗組員の細かなスケジュール等も管理した。「20、30代はまさにがむしゃら。子どもに会う暇もなかった。台風時に家の雨戸が吹き飛んで水浸しになっても帰れず、妻には申し訳なかった」と多忙さを振り返る。

 うれしかったのは、物流の要となり観光の窓口となったこと。本県産の野菜や果物などが首都圏で多く消費されるようになった。県産スイカは「初夏の風物詩」として親しまれたこともフェリー就航の恩恵。首都圏の高校生の修学旅行で南九州を選ぶことが多くなり、本県から首都圏への修学旅行も、帰りはフェリーを利用するのが定番になった。「修学旅行で山口百恵や桜田淳子が乗ったことをはっきり覚えている」とほほ笑む。

 強烈に思い出すのは昭和50年代、神戸-細島、広島-細島航路で起きた外国船との衝突事故。2船とも沈没し、広島航路では乗組員が亡くなった。初めての経験で、乗客や乗組員をリストアップし、必死で家族に連絡した。「安全がどれほど大切かを身をもって体験した」。社長になった今、社員に対し「安全運航、安定輸送、プロのサービス」と、真っ先に安全を掲げる。

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「カーフェリーの役割を官民一体となって考えることが必要」と話す黒木社長

 入社のときに熱い思いを抱いた京浜航路は赤字が続き、マリンエキスプレスに社名が変更になった92年ごろから存続の議論が始まっていた。「農産物や製造業にとって重要な輸送手段を失ってはいけない」と、さまざまな手段を考えた。高知に寄港し荷物を増やしたときは、何とかやっていけるという感触もつかんだ。

 しかし、日向市から宮崎市への交通インフラの弱さなどが起因し観光客が減少。そして2003年ごろ、いつ終息するとも分からない急激な燃油高騰が始まり採算性悪化に追い打ちをかけた。すでに宮崎カーフェリーの社長に就いていた05年、同航路の休止を決断した。苦悩の末の決断だった。「東日本大震災で首都圏の食糧事情が変化している現在、京浜航路があればとつくづく思う」と、食糧基地である南九州の役割、カーフェリーの役割を考察する。

 現在、唯一の航路である宮崎-大阪南港を大事に運航する。「本県物流のために、いかなることがあっても残さなければならない。農商工連携などで生み出された製品を大消費地までどう運ぶか。官民一体となって真剣に考えるとき」と、本県にとっての物流の重要性を指摘する。

ここが聞きたい

 -本県物流をどうみている。

 大部分をトラック輸送に依存している。しかし、トラック業界はドライバーの労務問題や後継者不足、燃料高騰など抱える課題は多い。それを少しでも緩和するために、フェリーやRORO船を使いドライバーを休息させたり、シャーシ輸送でコスト削減などに努めており、海上輸送と表裏一体といえる。首都圏に遠い本県からどう輸送するか。海上輸送は重要であり、今後は両業界や荷主、行政も含めて輸送体系の構築を図るべき。

 -口蹄疫、鳥インフルエンザ、新燃岳噴火、東日本大震災など天変地異が続いた。

 自然相手の仕事なので常に想定はしている。しかし、今回の東北での津波はこれまでのマニュアルを覆すもの。見直しが必要だ。災害に対してスピーディーに対応するため、県や市と災害時協定を結んでおく必要性を感じている。


わたしのオススメ

 乱読家。父が書店をやっていたので、子どものときから手当たり次第に本を読んだ。読む本はテーマを決めないので一貫性がないが、自分が迷ったとき、不思議と一筋の光をもたらしてくれる本に出会う。

 常に会社に置いてあるのが「あきらめるな!会社再建」(清水直著・東洋経済新報社)。会社の再建は法律や銀行がやるのではなく、人がやるものだ、という内容が書いてある。東京新橋の本屋で購入し、徹夜で読んだ。これらの本は、それまでの経験とは全く違うところからヒントをくれ、人生の指針になっている。(談)

プロフィル

 くろき・まさのり 日向市出身。中央大法学部を卒業し、1970年に日本カーフェリー入社。マリンエキスプレスに転籍後、2003年に社長に。04年、宮崎カーフェリーを設立し社長に就任。日本長距離フェリー協会理事、九州長距離フェリー協会会長も務める。宮崎市在住、64歳。

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