みやビズ

2019年10月16日(水)
キーパーソン

宮崎空港ビル社長 長濵保廣さん

2011/10/27

あらゆる面で日本一の空港

社内会議の一こま。部署の垣根を越えた社員同士の結束の強さが、新たな試みを後押ししている

社内会議の一こま。部署の垣根を越えた社員同士の結束の強さが、新たな試みを後押ししている

 本県の空の玄関口、宮崎空港のターミナルビルを運営する宮崎空港ビルに入社したのが今から44年前。初のジェット機就航、近代的な空港ビルの建設など、全国の地方空港の一歩先を行く存在として歴史を重ねてきた会社とともに、本県観光の一翼を担う誇りと責任を常に感じながら歩んできた。「空港に植えられた木の一本一本にエピソードがあり愛着がある」と相好を崩す。

 西都市三財に、3人兄弟の末っ子として生まれた。3歳の時に父親を病気で亡くし、寂しい思いをすることもあったと言うが「幼い子から高学年の子どもまでみんなで遊ぶような温かな地域」(本人談)で成長。宮崎市内の中学を卒業後、大阪繊維工業高校(現在の、早稲田摂陵中・同高等学校)に入学した。同校は当時、最盛期を迎えていた国内紡績業の代表企業数社が、将来の日本を導く若者を育てるために作った全寮制の学校。全国各地から集まったクラスメートと共に、最先端の施設で学生生活を送った。「学校で開かれる講演会の講師は、オリンピックの選手や大企業の創始者など常に一流の人。ずいぶんたくさんの美術展やコンサートにも連れて行ってもらった。とにかく何でも一番を目指せ、という校風だった」と振り返る。

 卒業後は紡績会社への就職が約束された順調な高校生活に転機が訪れたのは3年生の時。実習で訪れたストッキング製造工場で目の当たりにした機械による細かい作業に「これは自分には向いていないと判断した」と苦笑いしながら打ち明ける。卒業後は帰郷することを決め、就職先として選んだのが当時会社設立5年目だった宮崎空港ビルだった。

 入学当初の目的からはそれたものの、高校3年間で「志を高く持つことの大切さ」を身をもって学んだ。その真実をまさに観光面で実践していたのが、本県観光の父といわれ、同空港ビルの初代社長でもある故・岩切章太郎氏だった。社員として仕える中で、そのおもてなしの細やかさや情熱、たゆまぬ努力にたびたび遭遇したという。「当時、岩切氏を訪ねる要人が頻繁に来県していたが、空港ビルの一室で出発前の最後のおもてなしをするのが恒例だった。その際に提供する食事は、お客様が宮崎滞在中に食べた食事を全て事前に調べた上で、重なることがないよう常に気を配っていた」と印象的なエピソードを語る。

「より地域に密着した空港を作りたい」と語る長濵社長。背後に見えるブーゲンビリアは12人いる同社の植栽担当者が丹精込めて育てた鉢で、県民への無料プレゼントも毎年続けている。

「より地域に密着した空港を作りたい」と語る長濵社長。背後に見えるブーゲンビリアは12人いる同社の植栽担当者が丹精込めて育てた鉢で、県民への無料プレゼントも毎年続けている。

 売店に立ったりレストランの掃除をしたりといった雑務からスタートし、歴代5人の社長に仕える中で、客の目線でサービスを考える、という姿勢を次第に身に付けていった。1990年の総務部長時代には、現在のターミナルビルへの建て替えも経験。足かけ7年に及ぶ構想から完成までを、最前線で見守り手配に奔走した。南国情緒あふれる植物や、吹き抜けの空間を備えた斬新な建物はシンガポールやハワイなど国外の空港に自ら足を運びヒントを得たものだ。

 また、建物内には全国の地方空港に先駆けてイベントホールやギャラリーを設置。「機能のみが重視されていた当時の空港の在り方を、もっと地域住民に密着した場所として変えていく必要があった」と思いを語る。

 現在、空港は年間約300のコンサートや展示会、セレモニーが開催される県民にとってもなじみの深い場所となった。また、飫肥スギを用いた手荷物検査場の整備(昨年11月)や、地元農家や一般企業が物品を販売できる「チャレンジショップ」の設置(今年4月)など「人の喜ぶことをできるだけ早くする」をモットーに新たな取り組みの実践も続けている。その姿勢を保持できる大きな要因として、社員の結束力の強さを挙げ「レストランが忙しいときには経理担当者が手伝いに走ったりなど、部署にこだわらない社員総力戦の社風が昔から受け継がれている」と、うれしそうに笑う。

 「ハード面は歴代の社長が整備してくださった。自分の使命は、観光客のおもてなしや地域住民とのつながりといったソフト面をさらに充実させることだと考えている」。社員総力戦で目指す先にあるのは、入社当時から変わらない「あらゆる面で日本一の空港」だ。

ここが聞きたい

 -ビル内で運営するレストランや売店などに女性店長を起用している。その狙いは?

 現在、11ある店舗の全てで女性が店長を務めている。消費者のニーズを敏感に察知し、クレームや要望への丁寧な対応が求められる現場では、女性ならではの感性がより生きてくるのではと考えてのこと。「旅行の土産を配る」という習慣が薄れつつある中で、売店に求められている商品はアクセサリーなどの高額な物から、自分のために買うおいしい食品やそこでしか買えない珍しいもの、といったより身近なものへと変化しており、そういった観点からも女性の力が必要だと思っている。

 -口蹄疫や新燃岳の噴火など相次いだ災害による影響と今後の対策は?

 観光面への影響は、直接または間接的に現在も続いていると考えている。隣県には新幹線が開通する一方で、本県は非常に難しい立場に立たされている。まずはそれぞれの業界で、できることから一つ一つ取り組むしかない。空港では口蹄疫発生以降、国内・国際線ともに防疫マットの設置を続けている。また、来春にはビル屋上に太陽光パネルを設置し全国有数の日照時間を誇る本県のPRに一役買いたいと考えている。

私のオススメ

 そう強くはないが、マージャンが大好きで1カ月もできない日が続くとさみしい。にぎやかな場がコミュニケーションを取る手段にもなっている。ゴルフも好きで、月に2回ほどプレー。ハンディキャップは10だ。このほか、囲碁も好き。もちろん酒もたしなむ(談)。

プロフィル

 ながはま・やすひろ 西都市三財出身。1967(昭和42)年に宮崎空港ビルに入社。営業部売店課長、総務部長などを経て97年に取締役総務部長。常務取締役、専務取締役を務めた後、06年から現職。県外出張も多い多忙な業務の中で「暴飲暴食しない」ことを心掛け、3年ほど前からはジム通いも始めた。「社内で一番タフといわれている」という63歳。

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