みやビズ

2019年6月20日(木)
キーパーソン

かわにしスポーツ社長 川西晃さん

2015/05/11
「スポーツ用品の提供は夢を与える仕事。大事な役目を続けられるよう、若い人たちがこの業界で頑張りたいと思えるよう盛り上げたい」と語る川西社長

知恵絞り、スポーツ用品業界盛り上げる

大型店やネット通販の拡大で地場のスポーツ用品店が苦戦する中、堅実に業績を伸ばすかわにしスポーツ。川西社長は「地域にとって欠かせない存在になれるように努力していく」

大型店やネット通販の拡大で地場のスポーツ用品店が苦戦する中、堅実に業績を伸ばすかわにしスポーツ。川西社長は「地域にとって欠かせない存在になれるように努力していく」

 全国規模の大型店やインターネット通販の拡大で、苦戦が続く地場のスポーツ用品店。その中で堅実に業績を伸ばしているのが「かわにしスポーツ」(宮崎市)だ。2020年の東京五輪や26年の2巡目宮崎国体を見据え、川西晃社長は「スポーツ用品の提供は夢を与える仕事。大事な役目を続けられるよう、若い人たちがこの業界で頑張りたいと思えるよう盛り上げたい」と意気込む。

 宮崎大宮高から高崎経済大(群馬)へ進学。千葉県内の大手私鉄グループの建設会社に就職し、7年間働いた。大学3年生だった1964(昭和39)年に東京五輪が開かれるなど、日本中が高度経済成長の活気に満ちあふれていた時期を首都圏で過ごした。会社では営業を担当。帰宅はいつも午前0時すぎ。のちに「モーレツ社員」と呼ばれるような、会社のために粉骨砕身で働くサラリーマンだった。

 結婚して子どもにも恵まれ、東京での生活は順調。ただ多忙な日々に「このままは続けられないな」と限界を感じていた。そんなときに高校時代の友人から「ゴルフ場を立ち上げるので手伝ってほしい」と誘われた。妻も宮崎出身だったこともあり、73(同48)年に迷わず帰郷。橘百貨店(現ボンベルタ橘)の系列会社で、橘カントリークラブ(現宮崎国際ゴルフ倶楽部、宮崎市佐土原町)を運営する橘観光開発の営業部長として会員獲得に奔走した。

 同年11月、橘CCが開業した。しかし直前に第1次オイルショックが発生し、景気は悪化。75年8月に橘百貨店と橘観光開発が倒産した。その後は橘CCの受け皿会社と友人の男性衣料品店で約3年間働いた。

 転機は79年の元旦。初詣に出掛けた宮崎神宮で若者の9割近くがスポーツウエアのジャージーを着ているのを見た。従来の綿製品に比べ、化繊のジャージーは伸縮性や耐久性に優れる。この年は宮崎国体の開催年でもあり、スポーツブームの到来を直感した。同年8月にかわにしスポーツを立ち上げ、11月に開業した。

 橘百貨店倒産の経験から、「これからは郊外型の店舗が有利」と宮崎市北部の島之内に店を構えた。最初は品数が少なく、他店で購入し店頭に並べたことも。商品構成の乏しさをサービスで補おうと、夫婦2人で毎日深夜までグラブ修理やテニスラケットのガット張りに励んだ。徹夜で背番号などのマークをユニホームに縫い付けて早朝野球の会場に届けたり、地元チームのユニホームは全て在庫を押さえて少年野球の子どもたちがいつでも買えるようにしたり地域密着を心掛けた。

「スポーツ用品の提供は夢を与える仕事。大事な役目を続けられるよう、若い人たちがこの業界で頑張りたいと思えるよう盛り上げたい」と語る川西社長

「スポーツ用品の提供は夢を与える仕事。大事な役目を続けられるよう、若い人たちがこの業界で頑張りたいと思えるよう盛り上げたい」と語る川西社長

 80~90年代はプロ野球やJリーグ人気の高まりに加え、オリンピックやサッカーW杯の開催でスポーツ用品の市場規模は年々拡大。「店頭に並べておけば商品が売れる」というほど景気が良かった。ただ2000年代に入ると家電や薬などの小売業界と同様に全国規模の大型店が本県へ進出。ネット通販も普及し、品数や価格で地場の中小小売店は劣勢となった。多店舗化で売り上げを伸ばそうとした仲間もいたが、かわにしスポーツは生き残りへ「外商強化」を選択。社員一人一人の営業力を付けていく方向へかじを切った。

 外商は学校体操服や高校野球のユニホームといったウエア類から、サッカーゴールなどの用具類まで、幅広い範囲の商品を扱う。扱う金額も大きく、ある程度の商品知識も必要だ。ただ最も大事なのは顧客との信頼関係。顧客の話にしっかり耳を傾け、納期を厳守する。営業畑で長く過ごした経験から「今は選ぶ時代。顧客が何か買おうと思ったとき、うちの社員の顔を思い出してくれるようになれば大型店とも十分勝負できる」と考えた。

 店休日も平日から日曜祝日へ見直した。スポーツ店の従業員はみなスポーツ好きだ。かき入れ時に休む「奇策」だが、仕事をするより試合や練習の現場で友人や仲間と一緒に汗を流したり、顧客のチームを応援したりする方が人間関係を強められるし、商機も生まれると判断。年始は欠かさずメーカーの担当者約30人と交流会を開き、商品の供給側との絆づくりにも心を砕く。

 社員7人のうち社長を含む4人が外商を担当。在庫や見積もりなど顧客の問い合わせに即答できるよう、タブレット端末を手に現場を回る。これらの取り組みが実り、15年7月決算は売上高が前年比15パーセント増の見込み。外商の伸びが主だが、大型店進出で淘汰(とうた)された地場小売店の受け皿にもなっており、「人口減少といわれる中でも知恵を絞ればやり方はある。地域にとって欠かせない存在になれるように努力していく」と話す。

ここが聞きたい

 
 -スポーツ用品のネット通販が盛んだ。

 ネット通販の強みは安さや品数の豊富さ。でも消費者が最も求めているのは安心感。ネット通販でサイズや色、機能が欲しかったものと違ったという経験をした人は少なくない。店頭販売と異なり、ネット通販は消費者の手元へ商品が届くまでに(配達する)時間がかかる。同じ待ってもらえるなら店頭でカタログや見本を使い、より満足のできる品を選んでもらい取り寄せる。大切なのが従業員の質。顧客の心に寄り添った「御用聞き」の姿勢が重要だ。

 -現在71歳。後継者対策は。

 息子は県外で働いており、跡を継ぐ気はないようだ。だから、やる気のある人がいれば2年ぐらい私の元で経験を積み、その後に店を譲ってもいいと思っている。同じような悩みを持つ経営者は多いはず。一方で「いつかは社長になりたい」という意欲的な若者もいるだろう。銀行が「社長塾」のようなものを立ち上げて経営スキルを教えたり、若者と企業を出会わせたりするマッチングのような取り組みがもっと活発になればいいと思う。

プロフィル

かわにし・あきら 1943(昭和18)年9月、佐賀県唐津市生まれ。生後間もなく鹿児島市に移る。父はフィリピンで戦死、母も2歳で病死したため祖母に育てられた。小学2年からは父方の伯母が住む宮崎市で暮らす。宮崎大付属中時代は野球部で主将を務めた。趣味はゴルフだが、「でも仕事が一番楽しい」。旧姓野村。

アクセスランキング

ピックアップ