みやビズ

2018年4月23日(月)
食のロングセラー

つきいれ餅(金城堂本店)

2017/04/05

神武天皇東征の伝承に由来


 神武天皇の東征を由来とする金城堂本店(宮崎市)の「つきいれ餅」。軟らかな求肥(ぎゅうひ)餅にあっさりとした甘みの小豆が入ったものと、日向夏ミカンの果皮を蜜煮して生地に練り込んだ2種類がある。

1880(明治13)年創業の金城堂本店が提供する「つきいれ餅」

1880(明治13)年創業の金城堂本店が提供する「つきいれ餅」

 金城堂本店は、名古屋から同郷の仲間7~8人と本県へ移住した堀場甚平衛氏が、1880(明治13)年に同市上野町で創業した。原数子社長(69)によると、77年の西南戦争で本県は大きな被害を受けた。また、徳川家のお膝元である尾張名古屋ではさまざまな締め付けがあり「新天地を求めたのではないか」と推察する。

 甚平衛氏は商売を始めるに当たって大阪でカステラ職人の修業を積んだ。屋号は名古屋城の別名「金鯱城(きんこじょう)」にちなんで付けた。人望があり、葬式当日は祭りのような人出だったという。その死後に店舗は現在の橘通東2丁目へ移転した。

 つきいれ餅は、2代目の一(はじめ)氏が菓子組合の会長で「宮崎名物を作ろう」と挑戦。神武天皇が日向から東征する際に、村人たちが餅と小豆をつきまぜて献上した言い伝えを基に開発した。原社長の父で3代目の道髙氏(故人、1919年生まれ)が子どものころには、既にあったという。

 それから約100年。作り方や原料は同じだが、求肥餅の固さは時代とともに少しずつ変化。昔に比べて今は軟らかく、小豆の甘さも控えめという。「運(つき)入れ」という意味で縁起物として重宝されるようになったのは1960~70年代。V9時代の巨人軍に「つきがあるように」と客が差し入れしたのがきっかけ。最近は受験生などが御利益を期待して買っていくそうだ。

 現在は原社長の次男で、本家の養子となった欣也さん(39)が5代目を務める。東京の菓子専門学校へ進み、銀座の有名和菓子店の工場長も務めた実力派だ。原社長は「時代の流れに応じて変化させつつ、伝統の味を守り続けてもらいたい」と話している。

 商品の問い合わせは、金城堂本店TEL0985(24)4305。
(久保野剛)

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