みやビズ

2018年11月14日(水)
寄稿コラム / くらしの中で旅をする~交流の旅が育む地域愛~(福永栄子)

地域をつなぐコーディネーターになりたい

2014/02/20
 小学6年になって、イタリアはローマの郊外に家族で引っ越すことになった。当時、父は日本航空でジャンボ機の機長をしており、日本からの飛行機の交代クルーとしてローマステーションに駐在することになったのである。テヘラン(イラン)、カイロ(エジプト)、カラチ(パキスタン)、パリ、ロンドン、ハンブルク、マドリッド、フランクフルトなどがローマのステーションクルーの守備範囲であった。

当時、日本で唯一国際線を飛んだ日本航空。父は、ジャンボ機の機長を務めた

当時、日本で唯一国際線を飛んだ日本航空。父は、ジャンボ機の機長を務めた

稀代の建築家アントニオ=ガウディの建築様式が残るバルセロナのグエル公園

稀代の建築家アントニオ=ガウディの建築様式が残るバルセロナのグエル公園

 日本の航空会社で国際線を飛んでいたのは、JALだけの頃のことである。当時は日本からヨーロッパに行くのに南回りで26時間もかかっており(3年後、ローマからの帰路にはすでにアンカレッジ経由の北回り便もあり、18時間が短く感じていた)、日本人はあまり住んでいない時代であった。

 旅行者も農協の方々が団体で旅行をされておられる光景はよく見たが、個人旅行客はまだまだ少なく、オペラやカンツオーネ、そして、自らも絵筆を握る母の趣味もあり、私たち家族は、当時、留学されておられた音楽家や画家の方々と親交を結びながら、日々、暮らしていた。

 日本人が少なかったこともあり、今のように日本人学校も補習校もなく、両親は私と弟のためにアメリカンスクールではなく、ローマの郊外、バスで1時間半のところにあったインターナショナルスクールに通わせてくれた。小、中、高一環の私立学校で、授業料も高かったようだ。授業中は英語、休み時間はイタリア語、人種はさまざまで、英国人から、日本人とそっくりでつい日本語で話しかけてしまったというエピソード付きのイヌイットの娘から、兄弟8人が運転手付ロールスロイスで通うアフリカの大富豪の子どもたちまで、皆、友達。入学当初は英語ができない人のためのESLクラスでロシア人やイラン人、イスラエルの人たちと仲良く英語を教わった。中学部では日本人は私のほかに2名ほどで、アジア系は、中国人とイタリア人の混血の人が一人いただけだった。

 ある意味、日本人の代表として、常に日本を背負っているような緊張感らしきものがどこかにあったような気がする。日本人としてのアイデンティティが育まれた時期であったといえよう。

 恐ろしい体験もした。学校に2度も爆弾が仕掛けられ、校舎の外に皆で慌てて避難させられた。学内にイスラエル人がいたからだと知ったのは随分してからだった。

 この経験のせいからか、世界の平和、人がそれぞれ国境を越え結び合うこと、そして、それぞれの違いを尊重しあって認め合って行くことの大切さを学んだような気がする。中学3年生のときに帰国した。1975年、オイルショック後の日本。羽田近辺は公害がひどく、京浜工業地帯の工場群を見ながら、欧州との街並み景観とのギャップに、唖然としたのを覚えている。多感な時期を迎えていた私にとって、忘れられず夢にまで見た日本であったが、もっと美しい風景を想像していたのだろう、すっかりがっかりしてしまったのを覚えている。

 以前、住んでいた家に戻ってきたときには、ほっとした。「横浜の第二のチベット」といわれる権太坂、境木地区は、新興住宅街ではあったが、当時は周りに自然がいっぱい残っており、恵まれていた。

大学時代の友人の結婚式。国際人の多い学風だったが、宮崎に住むようになって、はじめて自分が国際人でないことがわかった。真の国際人とは、本当の日本のことを知っている人だ

大学時代の友人の結婚式。国際人の多い学風だったが、宮崎に住むようになって、はじめて自分が国際人でないことがわかった。真の国際人とは、本当の日本のことを知っている人だ

 大学にいくころには、外交官を希望している自分がいた。世界の平和という大きな命題を掲げて入った、上智大学。ここで育てられたものは大きい。

 1年生のとき、一般教養の時間、国際関係論を履修した。そのときに出会った先生は、緒方貞子教授。後に国連難民高等弁務官になられる先生は、その後の私の人生に大きな影響を与えてくださることになる。外交官になるよりも国際公務員になり、草の根の交流をコーディネートしていくことが私に向いているとおっしゃった。20歳の頃のことである。緒方先生は素晴らしい教育者でもあったことが、後から分かった。私自身のことを私よりも解っていらっしゃった。

 それぞれが互いの違いを理解し尊重しあうことこそ、真の平和で、人々がネットワークを結び、国を超えて活動することが大切だと教わった。また、その頃、学んだのがエコツーリズムなどの観光学であった。

 文化や自然などの地域遺産を多くの人が知り、守っていきたくなる仕掛け作り、同時に、訪れた人が啓蒙され、地域に経済効果をもたらすことができるシステム作りとして観光を活かすということを学んだ。

コーディネーターを務めた、国際肝臓学会でのひとコマ

コーディネーターを務めた、国際肝臓学会でのひとコマ

 実際は国際公務員になるには大学院を出ないといけないということで断念し、卒業後は日本郵船に入ることになるが、いつの間にか国際肝臓学会のコーディネーターなど、人と人をつなげたり、国際関係に関するコーディネーター的な仕事をしている自分に気が付き、今更ながらに緒方先生の教師としての、人を見抜く力に感服する。

 社会人になって、いろいろな国に旅した。ロサンゼルスにも3年ほど住んだ。その後、療養するために参った南九州、どの国よりも好きだった。


3月いっぱい開催される「みやざきバルウォーク はるバル2」では、実行委員長をさせていただいている。3月1日(土)には、オープニングバルが盛大に催される

3月いっぱい開催される「みやざきバルウォーク はるバル2」では、実行委員長をさせていただいている。3月1日(土)には、オープニングバルが盛大に催される

九州の山は美しい。雪の積もる霧島連山は実に厳かだ

九州の山は美しい。雪の積もる霧島連山は実に厳かだ

 3月1日土曜日から31日まで、今年も「みやざきバルウォーク『はるバル2』」が開催される。今度は「3月はバルマンス」ということで、居酒屋めぐりからマチめぐり、児湯郡、延岡市までまきこんだバルになる。Barのバルからフェスティバルのバルに変わり、迎える人もお祭り気分で、来られる方もウキウキ、ワクワク楽しめるイベントにしていく予定である。

 なぜバルウォークを市民の皆さんと一緒に仕掛けていくかというと、この地が好きだから、この地の魅力をたくさんの人に知ってもらいたいから、お店になかなか入りにくい人たちが、お店に入りやすくしていく仕掛け作り。そして、一度来たら、また行きたくなるようなステキなおもてなしをしてくださる店をたくさん集めたので、「きっとまた、来たくなる」バルウォークにしていきたいと思っている。

 5枚チケットがついて4000円。2月の28日までは3500円の前売引換券が販売されている。バルチケットは各参加店舗、宮崎県内のコープ、ネットで31日まで購入できる。詳細はwww.bar-miya.net

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