みやビズ

2018年9月26日(水)
寄稿コラム / くらしの中で旅をする~交流の旅が育む地域愛~(福永栄子)

人生に豊かさを、暮らしに潤いを…

2014/02/06
 ちまたは、受験のシーズン。運命を決める、大きな転機となる試験。何年もかけてチャレンジしてきたことの成果と真価が問われる一瞬。喜びと悲しみ、不安と余裕、様々な感情が交差し、その感情の出し方にも、それぞれの性格も出る。

文学者・武者小路実篤が築こうとした理想郷新しき村の入り口。彼は希望に満ち溢れた心でこの道を切り開いたのだろう

文学者・武者小路実篤が築こうとした理想郷新しき村の入り口。彼は希望に満ち溢れた心でこの道を切り開いたのだろう

 周りにいる家族も同じ、人それぞれ。上手に励ませる人もいれば、一緒に不安になり、本人よりも焦り、体まで壊してしまう人もいる。無関心を装い、気負いさせないように心尽くす人もいれば、実際もって、まったく関心がない人もいる。

 試験自体、テクニックや要領でこなせる部分が多く、一生懸命にやってきたことを、試験で上手に反映させることができる人もいれば、要領が悪く、実力が上手に発揮できない人もいる。

椎葉村十根川地区の路地裏に入り込む細い道。人の数だけ道が張り巡らされている

椎葉村十根川地区の路地裏に入り込む細い道。人の数だけ道が張り巡らされている

 人生を決める一瞬というのは、実は、受験だけではない。常日頃の暮らしのなかに、いつも「選択」は存在する。何を選び、何を捨てるのか。試験には正解があるかもしれないが、人生には正解はない。ただ選んで進んでいくのみである。何が正しかったのか、どう選択しなければならなかったのかは、人生の最後のときになるまでわからない。分かるのは、一生懸命、自分はやったのか? それともいい加減にやったのかということ。結果ではなく、その過程で、人は自分のことをみつめて、問わないといけない。試験が受かる、受からないということが大切なのではなく、そのために怠らず努力してきたかどうかが問題なのだということを、知ると、おのずと試験の結果はどうでもよくなるものである。

 毎日、選択しながら、人は生きている。昼ごはんをどこで食べるか。本屋では本を選び、困ったとき誰に聞くか選び、散歩ではどの方面に歩くか決める。延岡に行くのに、電車でいくのか、車で行くのか、車ならば高速を使うのか、国道を選ぶか農道を行くかを決め、何時に出て何時に戻るのか決める。そして選んだ通りに動くかと思えば、気分次第で道草することもある。

喜界島のさとうきび畑を抜ける一本の道。青空の下、まっすぐに進むのもたまにはイイ

喜界島のさとうきび畑を抜ける一本の道。青空の下、まっすぐに進むのもたまにはイイ

みちくさをしていると、ふとたどり着くのは、くらしの中の風景。人がいるところに道が出来る。道は、その人の生き方の表れ

みちくさをしていると、ふとたどり着くのは、くらしの中の風景。人がいるところに道が出来る。道は、その人の生き方の表れ

 決めた先には、それぞれの出会いがある。が一生で出会う人の数には限りがある。話しかける人の数も有限。出会いは運命であり、宿命であり、ある意味、決まっていたことかもしれない。

 大病して以来、私は、どういう出会いであっても感謝している自分がいることに気がついた。誰かと、そして何かと、出会えるというのは、嬉しいことである。生きている証であり、そこから広がる人生の深さであるから。たとえ悲しいこと、つらいことであったとしても、人生をありがたく受け入れていく姿勢がなくては人は生きていけない。

 私も医療事故に遭ったから、こうして南九州に療養に来て、住み続けている。体が悪かったからこそ、この地の優しさがわかった。

 もう命は長くないとわかったから、生きることの意味を考えることができた。

 人生、別離、事故など苦しいことも多い。

 が、人生万事、塞翁が馬。

 何が良くて、何が悪いかは、死ぬ一瞬まできっと、わからないだろう。しかし、今、どう生きているかは、自分自身が知っている。

 感謝して生きることが、心穏やかな生き方なんだろうなあ。どれ、今年もたくさん道草してみよう。

 人生に豊かさを、暮らしに潤いを・・・

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