みやビズ

2018年5月20日(日)
寄稿コラム / くらしの中で旅をする~交流の旅が育む地域愛~(福永栄子)

歴史とは、人の命のつながり

2014/01/23
 小さい時分から社会科が大好きだった。

 たしか小学4年生のときだったと思うが、一年間の自由研究で、郷土の調査をした。今、考えると、私の現在の仕事と、ほぼ同じことをした。地域の家々を訪ね歩き、その家のお爺さんやお婆さんから子どものころの思い出や祭り、食べ物などを聞いてまわった。

 当時、私は父の仕事の関係で大阪から横浜に移り住み、山を切り拓いて作った、いわゆる新興住宅地で暮らしていた。田園風景に囲まれた、新しい住宅街には、日本各地から移住してきた、大手の会社に勤める父親を持つ家庭が多かったのだが、調査を始めると、そうした家庭がほぼ全部、核家族で、ふだんは父親とほとんど接することがない生活をしていることがわかった。

定年を迎えラストフライトのときの父(写真中央)。向かって左隣が母、その左隣が筆者

定年を迎えラストフライトのときの父(写真中央)。向かって左隣が母、その左隣が筆者

 私の家の父は当時、日本航空の国際線パイロットであったため、家にまったく帰らない1週間と、連続して在宅する数日が組み合わさっていたので、父が遠方より戻り、家族と過ごしてくれた夕餉の楽しかったことを、母と作った料理の味や匂いと一緒になって今でも、よく思い出す。

 夏は父が繁忙期に入り、ほとんど戻ってこない。私と弟たちは、母の実家である大阪に帰り、自分が住んでいるところよりも都会の環境で、デパート探検ごっこなど工夫しながら(笑)休みを過ごした。

 そんな私に反して、近所の子ども達は夏は「田舎に帰る」という家庭が多かった。自由研究の調査で、田舎から帰った友人たちに聞いてみると、「川で泳いだ」とか「蛍を見た」と言っているのを聞き、とてもうらやましく思ったものだ。黒く日焼けした友人たちが輝いて見え、とても眩しかった。

 そのころ、秘かに、こんな言葉を作っていた。「夏休み明けの、色の黒さは幸福のバロメーター」。そして、自分自身も日焼けをしたいと、炎天下、わざと遊びに出かけて頑張ってみるのだが、もともと日焼けするよりも赤くなり皮が剥けてしまう体質だったようで、ちっとも黒くならなかった。

 自由研究は、先生に相談した結果、秋ごろから調査地域を変更した。学校の帰り、家とまったく正反対の方向に山越えをし、30分、帰りは小一時間かかる集落が調査地域となった。かくして、のちに大親友になる、家が農業をしている松原君枝さんの家に出入りするようになった。君枝さんには、たくさんの家族がいて、調査は楽しかった。田んぼの畦を歩きながら、田仕事をするおじいさんの話を聞いたり、近くのおばさんが持ってきてくれた焼き芋を二人でほおばったりしながら、調査を続けた。

 辺りは古くからの集落になっており、いたるところに親戚がいて、各家に上がりこんでは、インタビューと称して、おやつをいただいたり、昔語りを聞かせていただいた。どんな自由研究になり、どこで発表したかは、記憶のかなたになってしまったが、古い農家の土間に座り、自由研究が終わり5年生になっても、すっかり君枝さんの家に入り浸っては、おとなたちをおっかけていたのを覚えている。

20代後半の筆者。イタリアの旅を引率中、ローマにて 当時、国際医学学会のコーディネーターとして、スイスのバーゼルでの学会後のエクスカージョン(地旅)を旅行会社と組んで行っていた

20代後半の筆者。イタリアの旅を引率中、ローマにて 当時、国際医学学会のコーディネーターとして、スイスのバーゼルでの学会後のエクスカージョン(地旅)を旅行会社と組んで行っていた

 歴史はおもしろい。

 6年生のときにイタリアのローマに住むことになった私は、世界という大きな枠の中で歴史をとらえることができる環境を与えられた。そして、知るのである。

 どこでも、同じであることを。

 イタリアでも、ファミリア、そう「家族」という単位のなかで、それぞれの歴史が流れていて、その人々の生き様の集合体、つまり「命のつながり」が歴史になっていた。家のお父さん、おじいさん、おじいさんの兄弟に、そのお父さん。語り伝えられた家族の歴史の話を聞くことで、その人たちが一生懸命に生きてきた時代が見え、地域の当時の様子や価値感、連帯感、小さく細やかな暮らし風景を感じることができた。

 当時、インターナショナルスクールに通学していた私は、イヌイットからアフリカ人、アラブ人、イスラエル人の友人までたくさんの国の子や家族と接し、多感な思春期を過ごさせていただいたが、どこの国の人でも、私たちと同じであることがわかった。

イタリアのローマにある古代の遺跡「フォロロマーノ」

イタリアのローマにある古代の遺跡「フォロロマーノ」

 それぞれの家族の歴史を、愛情をもって語る子ども達には、郷土愛があり、人を愛する気持ちも育まれる。郷土を愛するということは、人を愛することで、人類愛に広がり、人を囲む環境すべてを愛する気持ちにつながっていく。

 子ども達に郷土に興味をもってもらう教育というのは、とても貴重である。地域を愛する気持ちを育んでいくことは、人に対する興味に広がり、人の生き方にも影響を与えていくからである。

 日本に戻り、高校になっても歴史が好きだった。大学に入り、国際関係論を勉強し、社会学や文化人類学を研究したが、その基礎は、小学校のときの、あの自由研究にあるような気がする。

 まずは家族の歴史を学ぼう!

 地域のお年寄りを訪ね、たくさんの話を聞いてみよう。あるいは、身近の子どもたちにたくさん語ってみよう。子どもの頃のこと、お父さんのこと、おばあさんのことを。

 日本人は長老を大事にしてきた。子どもの頃から「地域の先達たち」の語りを大切にし、伝えてきた歴史がある。

来月、50周年を迎える西米良村の加工グループ「みどり」の人々を囲む語り部さんたち

来月、50周年を迎える西米良村の加工グループ「みどり」の人々を囲む語り部さんたち

 今年も諸塚村など毎週末、各集落で感謝の神楽が奉納される。春先には、今度は祈りの神事があちらこちらで執り行われることだろう。年長者と年少者が一堂に集い、研鑽し、伝えられていく暮らしの伝統芸能を、ひとりひとりが人生のなかでしっかりと受け止め、多少変化させながらも次世代に続けていく。その人々の歴史の連続性が、それぞれの地域を作り、地域同士の交流を構築していく。そしていつの間にか郷土全体の歴史となり、流れていくんだなあ。

 つい先日、都城史談会の新春歴史講演会に講師として参加させていただいた。お題は、いつもと同じく「暮らしのなかの旅」。「歴史とは、人の命のつながり」という話をさせていただいた。そして、旅とは、空間の旅もあるが、「時空の旅」も大切であるということを語った。

 一つの場所に立ち、過去から現在を見ることも心の旅だが、現在から未来を感じることも、大切な旅。そのためには旅の途中で地域人と交流することで、地域の人の想いや夢、方向性を知り、地域の未来を感じ、いとおしく思う気持ちを育むことがとても大事だということを語った。

 都城史談会はすごい!

 今年88年目、人でいえば「喜寿」を迎えられる。その歴史の長さと活動の深さに、そして、人々の熱心さに感銘を受けた。一番前の席で前のめりになって一生懸命聞いてくださっていた女性は、大正時代、この会を作った方の長女に当られる日置さんであった。当年92歳になられるということで、いまだに歴史を築いておられ、背筋のすっとした品の良い方であった。

 そのほかにも90歳代の方々が当たり前のようにおられ、昔は教師であった方が多く、このような方々がおられたからこそ、都城市には、あるいは南九州には、古いものがしっかりと残り大切にされているのだということを感ずることができた。

 やはり人が歴史を作るのだ。

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