みやビズ

2018年7月19日(木)
寄稿コラム / くらしの中で旅をする~交流の旅が育む地域愛~(福永栄子)

養殖人間になりかけた…

2013/12/26
みちくさ2013年始号で通巻70巻を迎えた

みちくさ2013年始号で通巻70巻を迎えた

 誰かと目があったら、会釈をする。

 ごく当たり前の行為だが、今の世の中は、
そんな風には、なかなか生きていけない。

 通勤途中、何度か目があって会釈したら、勘違いされ、以来、ストーカーされ、恐い思いをしたなど、悲しい話も聞いた。子ども達に、ちゃんと挨拶しようねと、学校で「あいさつ運動」など実施しているかたわらで、おとなたちは何かにつけ、毎日のように「知らない人と口を聞いたらだめよ」と、言い聞かせながら子どもたちを電車で通学させている現代、人の生き方の難しさを感じると同時に、真の幸福を、つい訴求したくなる。

人には自分の空間というものがある。

 椎葉では、ひとつの尾根に、ひと家族というほど、隣家との距離がある。西米良村も人口1260人ほどだが、守るべき、山深いが広い土地と共に暮らしている。

ひとつの尾根に、ひと家族といわれる椎葉村。秘境向山地区の椎葉吉人さん宅からの風景

ひとつの尾根に、ひと家族といわれる椎葉村。秘境向山地区の椎葉吉人さん宅からの風景

 神奈川県で育った私は、「殺人的」という形容詞が、まだまだ、なまぬるく感じるほどの超満員状態の横須賀線に押し込まれて大学まで通学した。前の駅で、これ以上乗り込めない状態だった列車に、西米良村の数ほどの人間が乗り込もうというのだから、ホームから落ちそうなほどの人だかり。その人たちが一斉にドアに駆け込むわけだから、まさに殺人的。後ろから「押し屋」といわれる人たちが必死に押し込んでくれ、待っている人の20%ほどが何とか乗り込む。体操着などをビニール付の紙袋などに入れて乗ろうものなら、中身はすべて落ちてしまい。取っ手だけになっているのは、まだ取っ手があるだけ、ましな状態だった。

 大げさな話ではない。本当の話。

 大学入学して、2年ほどたって東海道線と横須賀線の混む様子は改善したが、当時「国鉄」であった、東京とベッドタウンの横浜との列車事情は、ひどいものであったのを覚えている。

えびの市田代地区の小池。霧島山麓の湧水を湛えた、ため池がくらしの源。

えびの市田代地区の小池。霧島山麓の湧水を湛えた、ため池がくらしの源。

 さて、面白いことがある。満員列車がこれだけ大変であっても、海外からの旅行者などにとっては、この状況は楽しいもので、実際、案内すると喜ばれた。それが日本の東京の人たちの暮らしだからである。

 この暮らしを味わい、こうだったよと自国に戻って話すネタにする。ある人は、クレージーだよねと、あっさりと否定するかもしれないが、多くの人が、日本人の忍耐強さと、どんな混雑な中でも目を合わせぬようにする奥ゆかしさ、痛くても我慢する礼儀正しさに驚いていた。

 海外の友人が一番、あきれていたのは、高温多湿の列車の中で品よくストッキングにヒールの靴なぞ履いて、涼し気に押し捲られながらも立っている日本の女性たちの我慢強さであった。

 とにかくタクシーや観光バスの旅ではなく、この猛烈な混みように耐える日本人の暮らしを体感する方が、旅というものは楽しいのである。というのも、もともと旅の目的は、自分が知らなかったこと、新しいものを知ることであるから。また、自分とは違った価値感に触れることで、自分の生活の本質が見えてきたりすること。そして、最終的に自分の暮らしの中に新しい「気づき」が生まれるのが、旅の醍醐味である。

 南九州に移住してきて、古き良き、日本がまだまだたくさん残っている風土に感謝する。そして、できればこの暮らし自体を、旅人には楽しんでもらいたいのである。

えびの市田代地区の鶴内家にて。石鉢の底をくり抜いた手づくりのそうめん流し。しかも水は天然の湧水を使用。庭先でこんな贅沢なことはない。

えびの市田代地区の鶴内家にて。石鉢の底をくり抜いた手づくりのそうめん流し。しかも水は天然の湧水を使用。庭先でこんな贅沢なことはない。


 こちらに来たばかりのころ、五ヶ瀬の鞍岡に遊びにいったとき、やまめの里の秋本治さんとお話をした。日本で一番初めにヤマメの養殖に成功した人で、学識の高い方であった。ヤマメの話になり、本来、敏捷で、たいへん繊細な川魚なはずだが、いざ養殖をはじめ、一定の広さ以上のところで飼うようになると、すっかり本性が変わり、あのすばしこい動きがなくなったという。そして、さらに人口(魚口)密度を増していくうちに、今度は生殖機能も麻痺していったというのだ!

 私は、すぐ、あの満員列車を思い出した。すべての五感を一切感じずにいるから、あの空間で涼しい顔をすることができる。

 しかし、いつかヤマメのように五感がかき消され、本来の機能を失っていくことになったのではないか!私は!養殖人間になるところだったのだ。

 私は救われた。

 五ヶ瀬に旅して、何かと出会った。

 私の中の何かが変わった。そして、思った。私のように、もっと多くの人たちが救われないといけないと!

 当時、背負っていた酸素ボンベから開放された直後であった。五ヶ瀬のやまめの里で明らかに何かがおかしいと気づくことで、自分の幸運は、この土地に出会えたことにあることに気がついた。

 子どもの頃、父や母から学んだ「あいさつ」を、何の畏れもなく交しあえる普通の環境に出会え、心が安心して、五感をいや、「何となく感じる」という六感をも含めて取り戻すことができたからかもしれない。
 
 暮らしを体験する旅をすることで、いろいろな気づきがある。今、こうして宮崎に住んでいるのは、五ヶ瀬に旅したときの美しい風景と、秋本さんとの出会いであったのかもしれない。こうした出会いがどこで、いつ私を待っているのか、誰も知らない。だから、今日も私はたくさん「みちくさ」することだろう。

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